プロレスをエンターテインメントに昇華した男 ホーガン氏死去 ~二宮清純特別寄稿~
ロックバンドのベーシストからプロレスラーに転じたハルク・ホーガン氏のリングネームは、米国の人気アニメ『超人ハルク』にちなむ。身長201センチ、体重137キロの巨躯。リング上でトレードマークの黄色のTシャツを、丸太のような腕で引きちぎると、はち切れんばかりの褐色の肉体が溢れ出た。それ自体が上質のパフォーマンスだった。
それを模倣したレスラーがいた。元横綱の北尾光司氏である。デビュー戦でホーガン氏と同じように黄色のTシャツを引き裂いた。ところが、観客が目にしたのは、まだ絞り切れていないたるみの残る肉体。かくしてホーガン流パフォーマンスは失敗に終わった。
あの圧巻の肉体をつくり上げるのに、どれだけの時間と労力を要したことか。本人は16年間に及び、筋肉増強剤を使用していたことを認めている。それが、どれほど彼の健康を蝕んだのかについては定かではないが、プロレスをエンターテインメントに昇華させた功績について異存のある人はいないだろう。
個人的に忘れられないのは、1981年5月10日、後楽園ホールでのスタン・ハンセン戦だ。これが“超人”と“不沈艦”の初対決だった。ホーガン氏の必殺技はアックスボンバー。直訳すれば“斧爆弾”。腕を直角に立て、ヒジの部分を相手の顔面に叩き込む。
片や先輩のハンセン氏はウエスタン・ラリアット。こちらは水平に伸ばした腕で、相手の首を刈る。野球で言えば、ダウンスイング気味に腕を振り抜く。
試合はハンセン氏がリングアウト勝ちを収めたが、勝ち負けはどうでもよかった。最大の見せ場は両雄の“自爆合戦”。互いにエルボードロップを失敗し合うのだが、そのつど地響きのような大音声とともにリングが波打ち、会場が揺れるのだ。
あれは少年の頃に田舎の映画館で観たゴジラ対キングギドラの、人間による実写版だった。ベビーフェイス対ヒールというプロレスの基本的な対立構造を、枠組みごと取っ払ってしまった象徴的にして画期的な一騎打ちとして記憶に残っている。
思いがけず、時の人になってしまったこともある。83年6月2日、IWGP初代王座をかけた蔵前国技館での一戦。助走をつけて放った“斧爆弾”がアントニオ猪木氏を直撃し、失神させてしまったのだ。救急車で運ばれた猪木氏は、早々に病院を抜け出していたことが発覚し、自作自演説まで流れた。
仮に失神するにしても、猪木氏ほどのレスラーなら、相手を選ぶだろう。所在なげにリング内をうろつくホーガン氏に、「後のことは自分で考えろ」と言いたかったのではないか。この時、ホーガン氏29歳。WWEが主催する第1回レッスルマニアで名をあげ、全米のスターとなる2年前のことである。
