第1187回 野茂英雄が米球宴を身近にした
もう時効だから書いてもいいだろう。1995年7月10日(現地時間)夜、私が宿泊していたダラス市内のホテルに、ヒューストン日本国総領事館に勤務する外交官を名乗る人物から電話がかかってきた。要件はこうだった。「明日のMLBオールスターゲームに出場する野茂英雄選手(ドジャース)に、村山富市首相からの親書を渡してもらいたい」
いくら外交官とはいえ、面識のない相手に夜中の電話は失礼だろう。それに、そんな大切なものを預かれる立場にない。「明日、ボールパーク・イン・アーリントンに足を運び、ご自身で手渡されたらどうですか?」と丁重にお断りして電話を切った。
メジャーリーガーがホテルに宿泊する時、偽名を使うのは常識である。外交官なら、そんなこと知らないはずがあるまい。八方手を尽くしたものの、野茂にアクセスすることができない。そこで折に触れて野茂について書いたり、話したりしていた私に目を付けたようだ。
数分後、もう一度電話がかかってきた。「国の仕事だと思って引き受けてもらえないか」。そこまで言われたら、断る理由がない。翌朝フロントで待ち合わせの約束をした。
電話での物言いとは違って、実際に会ってみると、パリッとした夏用のジャケットに身を包んだ紳士だった。
名刺を交換し、親書を受け取る。もちろん外側しか見ることができないのだが、そこは物書きの性だ。パッと見て誤字があることに気が付いた。送り主の名前が「MURAYAMA」ではなく「MURIYAMA」になっていたのだ。おそらく、急ごしらえだったのだろう。
「これはムリですねぇ」。こちらはジョークで、その場をとりなしたつもりだったが、先方の表情は明らかに強張っている。咄嗟の判断で、私は胸ポケットに差していたボールペンで「I」を「A」に変えた。「後で公文書偽造だと言わないでくださいね」と念を押すと、小さなウィンクが返ってきた。今から、ちょうど30年前の話である。
「ノモの後ろを歩けば、みんな僕らを放っておいてくれるんだ」。球場でそう語ったのは、前年、打率3割9分4厘をマークして自身5度目の首位打者に輝いたパドレスのトニー・グウィン。続けて、こうも。「バリー・ボンズとも話したんだ。ノモのおかげで忘れられないオールスターゲームになったってね」
30年に1度、通い慣れたボールパークの夏を彩るミッドサマー・クラシック。1933年に始まった歴史ある祭典を、日本人にも身近なイベントに変えた開拓者ヒデオ・ノモの功績を忘れてはならない。
<この原稿は25年7月16日付『スポーツニッポン』に掲載されたものです>
