第1188回 もう出てこない“日本一の遊撃” 大橋穣さん

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 西本幸雄さんが“悲運の名将”と呼ばれるのは、大毎で1回、阪急で5回、近鉄で2回、計8回もチームをパ・リーグ優勝に導きながら、日本シリーズで1度も勝てなかったからである。

 

 西本さんが日本シリーズで喫した32敗の中には、“江夏の21球”で知られる1979年の近鉄対広島第7戦も含まれている。日本一にあと一歩と迫りながら、力尽きた。

 

 生前、本人に日本シリーズについて話を聞く機会があった。79年の近鉄対広島第7戦以上に、悔しそうな口ぶりで振り返ったのが、阪急監督時代の71年の巨人との日本シリーズ第3戦である。

 

 9回表を終え、1対0と阪急リード。その裏、巨人は2死一、三塁とし、4番・王貞治さんが先発の山田久志さんの真っすぐを、後楽園のライトスタンドに叩き込んだのだ。絵に描いたような逆転サヨナラ3ランだった。

 

 西本さんが悔しがったのは王さんに打たれた本塁打ではない。チャンスを広げた、その前の長嶋茂雄さんのヒットである。長嶋さんは体勢を崩されながらも、バットの先っぽでセンター前に弾き返したのだ。

 西本さんは渋面をつくって語った。「おるべきところにショートの阪本(敏三)がおらんわけよ。あのゴロさえ捕っておけばゲームセットやったのに……」

 

 凡打をヒットにしてみせるのが長嶋さんである。インパクトの瞬間、野手の位置を確認しながら手首を返したり、打球にスピンをかけたりするのが、ミスターの十八番だった。パ・リーグの選手たちは、それを知らなかった。

 

 シリーズ終了後、すぐ西本さんは動いた。守備を強化するため、東映との間で複数トレード(阪急から阪本さん、岡村浩二さん、佐々木誠吾さん、東映から大橋穣さん、種茂雅之さん)を成立させたのである。

 

 西本さんが欲しかったのはショートの大橋さん。「まあ、ワシが見た中では、日本一のショートやろね。肩の強さ、守備範囲の広さ、スローイングの正確さ。どれをとってもナンバーワン」。阪急の元外野手・大熊忠義さんは、そう語った。

 

 こんな逸話がある。「大橋がウチにきた時(72年)の話や。東映は後楽園を本拠地にしとった。雨が降ってきて内野の天然芝が濡れ始めた。ウチから東映に行った岡村さんがショートの前にボテボテのゴロを打った。すると大橋、捕球したボールをズボンで2度も拭き、滑らんようにしてから一塁に投げた。それでも2メートル手前でアウト。“オレに恥かかすんか”と、岡村さん、えらい剣幕でしたわ」

 

 西本さんの英断は、上田利治さんが後を襲ってから結実する。阪急は75年から77年にかけて3年連続日本一。「守りだけでメシをくった名ショート。あんな選手は、もう2度と出てこんやろね」と大熊さん。不世出の“昭和の守備職人”をしのびつつ合掌。

 

<この原稿は25年7月30日付『スポーツニッポン』に掲載されたものです>

 
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