第820回 長嶋茂雄の荒療治 覚醒した新浦寿夫

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 第一次と第二次を合わせて、計15シーズンに及んだ巨人・長嶋茂雄政権。数多いる門下生の中で、ミスターが心血を注いで育てた打者の代表格が松井秀喜なら、投手は新浦寿夫だろう。

 

 新浦は「サイカイ」のメンバーのひとりだ。長嶋が初めて指揮を執った1975年、巨人は球団史上初の最下位に転落した。その年の投手たちによってつくられた会がサイカイ。入団8年目の大型サウスポーは、長嶋から目をかけられながら、2勝11敗という惨憺たる成績に終わった。

 

 この年の巨人の成績は47勝76敗7分け。29の借金のうち9つを自らがつくってしまったのだから、メディアから“A級戦犯”と名指しされたのも当然である。

 

 巨人の本拠地である後楽園球場は、ライトの横にブルペンがあった。新浦はベンチから、そこまで歩いていくのだが嫌で仕方なかった。味方であるはずの巨人ファンからヤジられるからである。

 

 いや、ヤジなら、まだ聞き流すことができる。それ以上にショックだったのは、新浦の名前がコールされ、ブルペンからマウンドに向かうと、観客がいっせいに帰り支度を始めることだった。

 

 当時の新浦は「ボールの行方はボールに聞いてくれ」というタイプのノーコン投手。三振も取るが、四球も出す。負ける時は自滅と相場が決まっていた。

 

 

 

 それでもミスターが新浦を使い続けたのは、「彼が一人前にならないことには、強い巨人は戻ってこない」と腹を決めていたからである。

 

 だが、親の心子知らず――。新浦は、さらし者にされているような心境だった。マウンドに上がりたくない一心で、ベンチでは常にミスターの目が届かない場所に腰かけた。腕ではなく、心がイップスの症状をきたしていたのである。

 

「僕は投げたくないものだから、球場でも極力、長嶋さんとは顔を合わせないようにしていましたよ」

 

 そんな男が翌年(76年)は先発とリリーフでフル回転し、11勝11敗5セーブをあげ、長嶋巨人の初Ⅴに貢献するのだから、野球とはわからないものである。

 

 覚醒のきっかけを与えてくれたのもミスターだった。

 

 前年の反省もあり、キャンプで禁煙を誓った新浦に、ミスターは、逆に、こう発破をかけたという。

 

「オレが許すから、ケツの穴からヤニが出るまでタバコを吸ってみろ」

 

 この一言が効いた。

 

「あれでスッと気持ちが楽になりましたよ」

 

 ミスターは荒療治のツボも、しっかりおさえていたのだ。

 

<この原稿は2025年8月15日号『週刊漫画ゴラク』に掲載されたものです>

 

 

 

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