第285回 アルゼンチン代表による「殺人ファール」 ~ホルヘ・ヒラノVol.20~
1985年6月30日――。
翌年、86年に行われるワールドカップ・メキシコ大会の出場権を掛けた南米予選最終節の舞台は、アルゼンチンの首都、ブエノスアイレスにあるエスタディオ・モヌメンタルだった。
エスタディオ・モヌメンタルは1938年開場、名門リーベルプレートが本拠地としている陸上競技場である。78年に行われたワードカップ・アルゼンチン大会の決勝が行われた。ワールドカップに合わせて観客席を増設、約6万5000人収容となっていたが、決勝戦の入場者数は7万1483人。ぎっしりと観客で埋まり、紙吹雪が舞うスタジアムで、アルゼンチン代表はオランダ代表を延長で破り、初優勝を成し遂げたのだ。
ペルー代表にとっては完全なアウェーである。
試合前日、ブエノスアイレスに入っていたペルー代表の選手たちはアウェーの洗礼を受けていた。選手たちが乗ったバスを約5000人ものアルゼンチン人が取り囲んだ。標的は、ディエゴ・アルマンド・マラドーナを押さえ込んだ守備的ミッドフィールダーのルーチョ・レイナだった。レイナ、そして家族を罵り、バスを揺らした。
この最終節で勝利したチームが、ワールドカップ出場権を手にする。ぎっしりと観客で埋まった、異様な雰囲気となっていた。
試合開始のホイッスルが鳴ると、1週間前と同じようにペルー代表の17番、レイナが、アルゼンチン代表のキャプテン、マラドーナにぴったりとついた。
前の試合と違っていたのは、アルゼンチン代表の後に、マラドーナの後に熱狂的なサポーターが控えていたことだ。試合開始直後、レイナに加えて、ペルー代表の選手たちがボールを持ったマラドーナを取り囲み、押し倒した。観客たちは立ち上がり、怒りの声を上げた。その低い声がうねり、スタジアムに響き渡る。
物議を醸したファウル
そして試合開始2分のことだった。
前線にいたペルー代表のフォワードのフランコ・ナバーロにパスが渡った。その瞬間、アルゼンチン代表の守備的ミッドフィールダー、フリアン・カミーノが右足を大きく上げると、スパイクの底でナバーロの右足を踏みつけた。ナバーロは右足を押さえてピッチに転がる。
試合後、ナバーロは脛を骨折、全治3カ月の重傷であったことが、判明する。
このプレーは長く両国で物議を醸すことになった。
カミーノはブエノスアイレスに本拠を置くエストゥディアンテス所属の右サイドバックだ。83年のコパ・アメリカの代表メンバーには入っていたが、このワールドカップ予選ではここまで出場機会がなかった。アルゼンチン代表監督のカルロス・ビラルドがペルー代表の選手を“壊す”ために彼を先発メンバーに入れたのではないか、とも疑われた。
後年、カミーノは、ペルー紙の取材にこう答えている。
「あのプレーは故意ではなかった。ピッチが滑りやすくて、スライディングしようとしたとき体重が乗ってしまったんだ。ビラルドがナバーロを壊すためにぼくをピッチに送り込んだなんてありえない。相手の脚を折るためにピッチに立つ選手なんていない」
一方のナバーロはこう証言している。
「あのファウルは本当にひどいものだった。今の時代ならばカミーノは退場はもちろん、1年間の出場停止だろう。しかし、当時の審判はホームチームの荒っぽいプレーには目を瞑っていた。だから彼はイエローカード1枚で済んだんだ」
70年代の南米の構図
ペルー代表の選手たちは審判に詰め寄るが判定は変わらなかった。そしてナバーロの代わりにフリオ・セサル・ウリベが入った。
試合開始早々、ペルー代表は、背番号9番のナバーロを失い、交代枠を1つ使わざるをえなくなった。ベンチに座っていた、ペルー代表の切り札である、ホルヘ・ヒラノの出番が限られることになる――。
前半12分――。
左サイドからのスローインのボールを受けたマラドーナは、レイナを交わしてドリブル。左足で中央にクロスボールを上げた。中で待っていたペドロ・パスクーリがシュート。ボールはネットの中に転がっていった。アルゼンチン代表が先制。観客は足を踏みならし、大歓声を挙げた。
引き分けの場合、アルゼンチン代表がワールドカップ出場権を得る。ペルー代表には最低でも2得点が必要となった。ましてや、アルゼンチンのホームである。
しかし、ペルー代表の選手たちは、下を向くことはなかった。
レイナはこう振り返る。
「70年代、ペルー代表はブラジル代表の次に強かった。その後、アルゼンチン、ウルグアイが加わり“4強”となったんだ。傲慢のように聞こえるかもしれないが、コロンビア、チリ、ボリビア、エクアドルよりも常に上だった」
ペルー代表はしたたかに、アルゼンチン代表を追い詰めていく。
(つづく)
田崎健太(たざき・けんた)
1968年3月13日京都市生まれ。ノンフィクション作家。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部などを経て、1999年末に退社。
著書に『cuba ユーウツな楽園』 (アミューズブックス)、『此処ではない何処かへ 広山望の挑戦』 (幻冬舎)、『ジーコジャパン11のブラジル流方程式』 (講談社プラスα文庫)、『W杯ビジネス30年戦争』 (新潮社)、『楽天が巨人に勝つ日-スポーツビジネス下克上-』 (学研新書)、『W杯に群がる男たち―巨大サッカービジネスの闇―』(新潮文庫)、『辺境遊記』(英治出版)、『偶然完全 勝新太郎伝』(講談社)、『維新漂流 中田宏は何を見たのか』(集英社インターナショナル)、『ザ・キングファーザー』(カンゼン)、『球童 伊良部秀輝伝』(講談社 ミズノスポーツライター賞優秀賞)、『真説・長州力 1951-2018』(集英社)。『電通とFIFA サッカーに群がる男たち』(光文社新書)、『真説佐山サトル』(集英社インターナショナル)、『ドラガイ』(カンゼン)、『全身芸人』(太田出版)、『ドラヨン』(カンゼン)。「スポーツアイデンティティ どのスポーツを選ぶかで人生は決まる」(太田出版)。最新刊は、「横浜フリューゲルスはなぜ消滅しなければならなかったのか」(カンゼン)
代表を務める(株)カニジルは、鳥取大学医学部附属病院一階でカニジルブックストアを運営。とりだい病院広報誌「カニジル」、千船病院広報誌「虹くじら」、近畿大学附属病院がんセンター広報誌「梅☆」編集長。