第286回 プランを崩した“荒れたピッチ” ~ホルヘ・ヒラノVol.21~

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 1986年ワールドカップ・メキシコ大会の出場権をかけた南米予選の最終節、ホームのアルゼンチン代表はディエゴ・アルマンド・マラドーナからのパスをペドロ・パスクーリが決めて先制した。

 

 しかし、ペルー代表はアルゼンチン代表に臆することはなかった。苦手意識があったのは、アルゼンチン代表の方だったかもしれない。70年ワールドカップ予選、アルゼンチン代表はペルー代表に敗れて出場権を失ったことがあったのだ。

 

 前半23分、ペルー代表は、フリーキックからのボールをフリオ・セサル・ウリベが頭で折り返し、ホセ・ベラスケスが決めた。スコアは1対1。

 

 引き分けならば得失点差でアルゼンチン代表が出場権を獲得し、ペルー代表はプレーオフに回る。ペルー代表にはもう1点が必要だった。

 

 ペルー代表の鍵となるのは、リマで行われた前節に引き続き、マラドーナをマークするルーチョ・レイナだった。

 

 ベンチで試合を観ていたホルヘ・ヒラノはこう振り返る。

「ルーチョ・レイナがマラドーナのマークにつくことになったのは(前節のリマでの第1戦)直前だった。いつだったかははっきりと覚えてないけれど、前日、もしくは前々日の合宿中だった。それまでぼくたちはマラドーナにマンマークをつけるという練習は一切していなかった。そして、この予選でルーチョは一度も出場機会がなかった。彼は頑丈で力強いプレーが持ち味だった。そこを監督の(ロベルト・)チャーレは買ったのだろう」

 

 ヒラノは当時を思い出してこう笑う。

「チャーレはルーチョにこう言ったんだ。“どこまでもマラドーナについていけ。トイレーに行ったとしてもついていけ”ってね」

 

 アウェーの洗礼

 

 リマでマラドーナは息をすることもできなかった、ルーチョは完全に彼を押さえきったんだ、と付け加えた。

 

 第2節のブエノスアイレスでは前日からアウェーの洗礼を受けていた。

「通常ならば前日は試合が行われるピッチで練習する。そこで芝などの状況を確認するんだ。ところが前日、雨が降っているということで、練習どころか、ピッチを見ることもできなかった。試合前にぼくたちは初めてピッチの状態を知った。水溜まりが残っていて、泥濘んで、非常に滑りやすい状態だった」

 

 アウェーで審判の眼が厳しくなるということもあったろう、監督のチャーレはレイナにこう言ったという。

 

 ——マークはしろ、ただ強く当たるな。

 

 前半半ばで、すでにレイナのユニホーム、ソックスは泥だらけになっていた。先取点の起点となるプレーは許したものの、それ以外は身体を張って押さえていたのだ。

 

 そんなレイナの努力は報われる。

 

 そして前半39分だった。

 

 ペルー代表のミッドフィールダー、セサル・クエトがドリブルで突破、前線にいたヘロニモ・バルバディージョにスルーパスを出した。バルバディージョは泥濘んだピッチにも関わらず、ディフェンダー2人、そしてキーパーまで交わしてシュートを打った。

 

 1対2——。

 

 ついにペルー代表がアルゼンチン代表を上回ったのだ。

 

 ホームで敗れるわけにはいかないアルゼンチン代表は攻勢を強め、ペルー代表はそれに応じる——。

 

 両チームが激しく競り合ったため、ペルー代表のゴール前から中央部分の芝の大部分は剥がれ、土が剥き出しになっていた。

 

 中でもマラドーナのユニホームは泥まみれで、背中の番号——「10」が読めないほどだった。前半最後のプレーは、そのマラドーナのフリーキックだった。しかし、ボールはゴール枠には行かなかった。卓越した足技を持つ、マラドーナでさえ、荒れた足元に手こずっていた。

 

 負傷で交代枠2枚を使い切る

 

 後半も開始から、点を取るしかないアルゼンチン代表は攻め続ける。ペルー代表は押されながらも球際では踏ん張っていた。

 

 時計は後半20分を過ぎていた。ヒラノはそろそろ自分の時間だと思った。

 

 ヒラノの証言だ。

「チャーレは、我々は懐に切り札があると言っていた。試合の最後、残り20分ほどでぼくを入れるということだった。得点が欲しいアルゼンチン代表は全員がペルー代表のエリアに入っていた。ぼくが前線に入ってロングボールを受ければ、試合を決めることができる」

 

 足が速く、決定力のあるヒラノはまさに切り札だった。疲労の色が濃いアルゼンチン代表は、ヒラノに手を焼くはずだった。アルゼンチン代表を葬り去るチャーレのゲームプラン通りに進んでいたのだ。

 

 しかし——。

 

 そのとき、レイナがベンチにこう叫んだのだ。足が攣った、交代させてくれ、と。

 

 これまで代表で出場機会がなかったレイナは2週連続で出場。それもマラドーナをマンマークするという重要な役割を託されていた。荒れたピッチが彼の体力を消耗させていたのだ。

 

 後半23分、監督のチャーレは、レイナに替えてハビエル・チリーノスを入れた。身長184センチと上背のある守備的ミッドフィールダーである。

 

 前半の負傷退場による交代を含めて2人目。交代枠を使い切ったことになる。これでヒラノの出番は消えた。

 

 この交代が試合に大きな影響を与えることになった——。

 

(つづく)

 

田崎健太(たざき・けんた)

1968年3月13日京都市生まれ。ノンフィクション作家。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部などを経て、1999年末に退社。

著書に『cuba ユーウツな楽園』 (アミューズブックス)、『此処ではない何処かへ 広山望の挑戦』 (幻冬舎)、『ジーコジャパン11のブラジル流方程式』 (講談社プラスα文庫)、『W杯ビジネス30年戦争』 (新潮社)、『楽天が巨人に勝つ日-スポーツビジネス下克上-』 (学研新書)、『W杯に群がる男たち―巨大サッカービジネスの闇―』(新潮文庫)、『辺境遊記』(英治出版)、『偶然完全 勝新太郎伝』(講談社)、『維新漂流 中田宏は何を見たのか』(集英社インターナショナル)、『ザ・キングファーザー』(カンゼン)、『球童 伊良部秀輝伝』(講談社 ミズノスポーツライター賞優秀賞)、『真説・長州力 1951-2018』(集英社)。『電通とFIFA サッカーに群がる男たち』(光文社新書)、『真説佐山サトル』(集英社インターナショナル)、『ドラガイ』(カンゼン)、『全身芸人』(太田出版)、『ドラヨン』(カンゼン)。「スポーツアイデンティティ どのスポーツを選ぶかで人生は決まる」(太田出版)。最新刊は、「横浜フリューゲルスはなぜ消滅しなければならなかったのか」(カンゼン)

代表を務める(株)カニジルは、鳥取大学医学部附属病院一階でカニジルブックストアを運営。とりだい病院広報誌「カニジル」、千船病院広報誌「虹くじら」、近畿大学附属病院がんセンター広報誌「梅☆」編集長。

 

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