第289回「ゴールキーパー」選択が試合を決めた ~ホルヘ・ヒラノVol.24~
1985年秋、翌年に行われるワールドカップの南米代表プレーオフが行われた。先だって行われた南米予選で3つのグループリーグ首位となった、アルゼンチン代表、ウルグアイ代表、ブラジル代表が出場権を獲得。残りの1枠を、ペルー代表、コロンビア代表、チリ代表、パラグアイ代表の4カ国で争うことになった。プレーオフは、ホームアンドアウェーのトーナメント制だった。
ホルヘ・ヒラノのいたペルー代表は1回戦でチリ代表と対戦した。チリ代表はペルー代表と同じように前回の82年ワールドカップスペイン大会に出場している。派手さはないが、守備の固いチームだった。
開始早々の前半6分だった。
チリ代表の中盤、ミゲル・アンヘルが右サイドに長いパスを出した。俊足のパト・ヤニスが足元でボールを収めると、ペルー代表のウーゴ・ガストゥーロは、ヤニスの足にタックル。ファウルを取られた。今ならばレッドカードだ。この時代はこうした荒っぽいプレーが許されていた。
フリーキックを蹴るのは、背番号10をつけたホルヘ・アラベナだった。左利きのアラベナはフリーキックの名手として知られていた。ヤニス、そしてアラベナはスペインのバジャドリッドに所属していた。
アラベナの前に2人のペルー代表の選手が立ち、ゴールを隠すように壁を作った。ところが、1人の選手が横に移動した。その瞬間、アラベナは左足でその隙間を狙った。カーブの掛かったボールはゴールに吸い込まれた。
その2分後の前半8分だった。
前監督の助言
チリ代表はセンターサークル付近でボールを奪い、アラベナが前線のウーゴ・ルビオにパスを通した。ルビオは前にボールを運び、左足を振り抜いた。ボールはGKエウセビオ・アカスソの足元に飛んだ。強いシュートではあったが、なんでもないボールだった。アカスソは少し屈んで手を伸ばした。ボールは彼の手に収まらず、ゴールの中に転がった。
そして前半15分、またもやヤニス、アラベナたちがボールを繋ぐ。こぼれたボールをチリ代表のアレハンドロ・イシスがロングシュートを放った。ボールはゴールの左隅に入った。
3対0——。
それほど強いシュートではない。前の試合、アルゼンチン戦のアカスソならば難なく止めていたはずだ。1点目の失点から動きが緩慢だった。そして自信を失ったか、動揺しているようだった。
前半24分、控えGKのラモン・キローガがピッチサイドに立った。アカスソは不満だったのか、しばらくピッチを去ろうとしなかった。やがて主審に促されてゴール裏に移動した。怪我など以外で試合途中、それも前半途中でGKが替わることは異例だった。
ベンチで試合を見守っていたヒラノはこう振り返る。
「チェボ(アカスソの愛称)はペルーで所属クラブがなかったので、(前ペルー代表監督の)バラックがボリビアに呼んだ。バラックはペルー代表監督を解任された後、ボリーバルで監督をしていた。クラブがないならば、ボリビアに来たらいいという感じだったと聞いている。そんなときにチェボは、突然代表に招集されたんだ。バラックは“〝チェボはフィジカルも仕上がっておらず、長く公式戦から離れていて試合勘もない。とても試合に出られる状態にない。緊急事態以外で試合に使わないほうがいい”と(ペルー代表監督のロベルト・)チャーレに釘を刺していた」
「最悪の試合」とヒラノ
その後、ペルー代表が2点を返したが、2対4での敗戦だった。リマで行われる次戦で逆転の可能性はあるとはいえ、絶望的な点差だった。
ヒラノはアルゼンチン戦とはチームの雰囲気が違っていたという。
「チーム全体が精神的に落ちていた。ワールドカップに出るのは難しいと、気持ちが切れていたような記憶がある」
マラドーナのいたアルゼンチン代表との激闘で選手たちは燃え尽きていたのだ。
チリから帰国後、アカスソは<故意にチリ代表に有利になるようなプレーをした><全力を尽くさなかった>と批判された。
ヒラノはアカスソに責任はないと庇う。
「アカスソはボリビアのラパスという標高の高い場所からやってきた。体調は万全ではなかったんだ。責任があるとすれば、彼を先発起用した(監督の)チャーレ、GKコーチだ」
前回の連載で引用した<trome.com>のインタビューで、チリからペルーに帰国すると空港で協会の広報担当者から人々が怒っているので別の出口から出るように指示されたとアカスソは語っている。そして<もう代表には呼ばない>と書かれた紙を渡されたという。
ペルー代表対チリ代表の第2戦は11月3日にペルーの首都リマの国立競技場で行われた。試合は0対1でチリ代表の勝利。ヒラノは62分にカルロス・オルビータスと替わってピッチに入っている。
「リマでの敗戦はひどい記憶だ。ぼくの代表経験の中でも最悪の試合だった」
こうしてペルー代表はワールドカップ出場権を逃すことになった。ヒラノはこの数カ月後、人生を左右する決断をすることになる。
(つづく)
田崎健太(たざき・けんた)
1968年3月13日京都市生まれ。ノンフィクション作家。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部などを経て、1999年末に退社。
著書に『cuba ユーウツな楽園』 (アミューズブックス)、『此処ではない何処かへ 広山望の挑戦』 (幻冬舎)、『ジーコジャパン11のブラジル流方程式』 (講談社プラスα文庫)、『W杯ビジネス30年戦争』 (新潮社)、『楽天が巨人に勝つ日-スポーツビジネス下克上-』 (学研新書)、『W杯に群がる男たち―巨大サッカービジネスの闇―』(新潮文庫)、『辺境遊記』(英治出版)、『偶然完全 勝新太郎伝』(講談社)、『維新漂流 中田宏は何を見たのか』(集英社インターナショナル)、『ザ・キングファーザー』(カンゼン)、『球童 伊良部秀輝伝』(講談社 ミズノスポーツライター賞優秀賞)、『真説・長州力 1951-2018』(集英社)。『電通とFIFA サッカーに群がる男たち』(光文社新書)、『真説佐山サトル』(集英社インターナショナル)、『ドラガイ』(カンゼン)、『全身芸人』(太田出版)、『ドラヨン』(カンゼン)。「スポーツアイデンティティ どのスポーツを選ぶかで人生は決まる」(太田出版)。最新刊は、「横浜フリューゲルスはなぜ消滅しなければならなかったのか」(カンゼン)
代表を務める(株)カニジルは、鳥取大学医学部附属病院一階でカニジルブックストアを運営。とりだい病院広報誌「カニジル」、千船病院広報誌「虹くじら」、近畿大学附属病院がんセンター広報誌「梅☆」編集長。