長友佑都(明治大学体育会サッカー部/愛媛県西条市出身)第1回「右サイドを切り裂いた新星」

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 北中米W杯で「最高の景色」を目指した日本代表は、決勝トーナメント1回戦でブラジルに1対2で敗れ、大会から姿を消した。日の丸のハチマキを巻きながら、チームの陣頭に立っていたのが39歳の長友佑都である。

 

 日本代表史上初となるW杯5大会連続出場という金字塔を打ち立てた長友のユニホームの右袖には「レガシー・パッチ」がつけられていた。今大会でこの栄誉に浴したのは長友を含めリオネル・メッシ(アルゼンチン)、クリスティアーノ・ロナウド(ポルトガル)、マヌエル・ノイアー(ドイツ)、ルカ・モドリッチ(クロアチア)、ギジェルモ・オチョア(メキシコ)の6人だけだった。

 

 そこで今回は、長友の偉業を称え、2007年11月に掲載した“長友物語”を19年ぶりにお届けする。

 

 

 

 

<2007年11月4日に配信したものを再掲載しています>

 

 07年6月6日、北京五輪2次予選最終戦(第6戦)マレーシア戦。

 

 1人の大学生が聖地・国立競技場のピッチで躍動した。彼の名は長友佑都。明治大学体育会サッカー部3年生。170センチと小柄だが、身体能力が高く、1対1の強さに定評のある攻撃的サイドバックである。

 

「まさか国立の舞台でやれるなんて……。俺って本当に幸せ者やなって思いましたね」

 

 長友は噛み締めるようにして言った。

 

 反町康治監督率いるU-22日本代表は同予選5連勝でマレーシア戦を待たずに最終予選進出を決めていた。マレーシア戦には、過去の5試合で中心選手だったFW平山らが外れ、7人の初招集選手が呼ばれた。いわば、最終予選を見据えた新戦力のテストの舞台だった。

 

 長友は、その初招集選手の一人。それまで代表には縁がなかった。試合開始前、日本代表の鮮やかなブルーのユニホームに初めて袖を通した瞬間から、ゆっくりと興奮が高まっていった。焦りや緊張はほとんどなかった。国立のピッチに立った時には、心地よさすら感じていた。

 

「『自分はやれる』という自信はありましたね。逆に、そういう自信を持ってないと、どんなところでも自分のプレーが出せない。常にそう思って、ピッチに立っています」

 

 反町監督に与えられたポジションは3−5−2の右サイドMF。得意のポジションだ。試合開始のホイッスルが鳴った瞬間から、フルスロットルで飛ばした。持ち味の激しいアップダウンで対面の相手を圧倒し、右サイドを制圧していった。

 

 見せ場は早くも前半28分に訪れた。

 

「自分でも、よく飛び込んだと思いましたね」

 

 MF上田(磐田)の左クロス、飛び出してくるGKを恐れずに突っ込み、GKの鼻先で頭で押し込んだ。ボールへの執念が集約された先制点だった。代表デビュー戦の前半で初得点を奪える選手はそう多くない。しかもFW以外のポジションとなれば、その数はさらに絞られるだろう。

 

「あの試合は佑都が一番動いていたよね」

 

 そう話すのは、西条北中で長友を指導した井上博氏だ。

 

「絶対に諦めないという姿勢が前面に出ていたんじゃないかな。試合開始から『俺がアピールするんだ』という気合に満ちていた」

 

 後半に入っても、長友の勢いは止まらなかった。2−0で迎えた51分、右サイドでロングフィードを受けると、そのまま加速してPA右に切り込んだ。一瞬で振り切られたマレーシアのDFアイディルは、長友の後ろから無謀なスライディングタックルを仕掛けるしかなかった。主審は迷わず、ペナルティスポットの中央を指差した。

 

 PKを引き出した当の本人は「あの場面は狙い通りでしたね」とニヤリと笑った。

「いい感じでトラップができて、中に入れた。相手がスライディングで突っ込んでくることはわかっていたんです。(タックルが)来なかったら来ないでラストパスを入れればよかったわけですからね。(倒れこんだ時の)受身もバッチリでしたよ(笑)」

 

「(PKを獲った場面は)彼の強みであるドリブルが生きたね」

 試合を観戦した明治大学サッカー部の神川明彦監督(当時)も口を揃えるように言った。

「アップダウン、1対1の強さ、攻撃に入った時のスピード……。あの試合は彼のよさが本当によく出ていたよ」

 

 3−1で日本の快勝。このゲームのMVPが2ゴールにからんだ長友であることは、誰の目にも明らかだった。試合前の合宿や練習試合で目覚ましい動きを見せていたとはいえ、これほど鮮烈な代表デビューを迎えると予想した者がどれだけいただろうか。それだけに、周囲からの称賛の声は大きかった。

 

 一方で、長友は冷静に自分のプレーを見つめていた。

「もちろん、代表レベルでも自分の特長を生かせばやっていけるんだなという自信はつきましたよ。でも、全然ダメだったなという気持ちの方が強いんです。あのぐらいのプレーだったら、誰にでもできる。クロスの精度が足りなかったし、プレーの判断も遅かった。もっと上に行くためにはもっと努力しないと……」

 

 マレーシア戦後は、持病の腰のヘルニアが発症したこともあり、代表はおろか、大学の試合すら満足に出場できない状況が続いた。本人はもちろんのこと、周囲も心の底から長友の復帰を待ち続けた。

 

「(長友がケガでいない時期は)本当に困りましたよ。色々な選手を試したが、なかなかうまくいかず、本来ボランチの選手をサイドバックに回すなどして何とか対応しました。本当に何とかっていう感じですね」(神川監督)

 

 2007年10月27日の関東大学リーグ第18節・国士舘大学戦の後半39分、長友は公式戦で6試合ぶりにピッチに立った。インタビューを行った10月中旬、真剣な顔で「ケガで迷惑をかけた分、復帰したらチームに貢献したい」と話していた。止まっていた時計の針がようやく動き始めた。

 

 インタビューでは、目を輝かせて、こうも話していた。

「やっぱり、あの試合(マレーシア戦)を思い出すと気持ちが昂ぶってくるんです。もう一度、あの舞台に立ちたいですね」

 

 長友がもう一度ブルーのユニホームに袖を通す日が待ち遠しい。

 

(第2回に続く)

 

<長友佑都(ながとも・ゆうと)プロフィール>

1986年9月12日生まれ。愛媛県西条市出身。幼稚園の頃にサッカーに出会う。地元の西条北中から、全国的な強豪校である東福岡高校に入学。その後、明治大学に進んだ。6月6日の北京五輪2次予選最終戦のマレーシア戦で初招集され、デビュー戦ながら2ゴールにからむ活躍を見せた。07年5月にJリーグの特別指定選手としてFC東京に受け入れられ、7月のナビスコ杯で公式戦デビューを果たした。持久力と瞬発力を兼ね備え、1対1に強い攻撃的サイドバック。170センチ、65キロ。

 

(文/石田洋之)

 

 

 

 

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