2月からスタートするスプリングトレーニング(春季キャンプ)を前にロサンゼルスで自主トレに励んでいた長野久義にすれば、寝込みを襲われたような心境だったのではないか。

 

 

 FAで丸佳浩を巨人にさらわれた広島が「人的補償」として狙っていたのは34歳の長野だった。驚くことに28人のプロテクトリストに、彼の名前はなかったのだ。

 

 アマチュア時代、長野は2度、パ・リーグの球団(2006年は北海道日本ハム、08年は千葉ロッテ)にドラフト指名されながら、それを蹴り、少年の頃から憧れていた巨人入りを果たした。いわゆる“ジャイアンツ愛”にみちた選手である。

 

 昨シーズンこそ背筋の故障もあり、入団以来初めて規定打席数に達しなかったが、それでも2割9分という高打率をマークした。

 

 入団2年目の11年には首位打者、3年目の12年には最多安打のタイトルを獲るなど、文字通り巨人の中心選手として活躍してきた。16年には選手会長も務めている。

 

 そんな選手を、なぜプロテクトリストに入れていなかったのか。

 

 巨人OBの中畑清は、スポニチ紙上(1月8日付)で、次のような球団批判を展開した。

<うそだろ。またかよ。内海に続いて今度は長野が…。巨人OBの一人として寂しくてたまらない。「伝統」や「格式」を口にする球団が薄っぺらになったな。そう感じられてならない(中略)。

 

 28人のプロテクト枠から外したということは戦力として認めず「ウチはいらない。どうぞ持っていって」と言ったのと一緒。それなのに球団社長は内海のときの「大変残念」に続いて「断腸の思いです」だって。だったらプロテクトしときなさいよ。悪気はないんだろうが、出される選手の気持ちが全く分かっていない。>

 

 かつて巨人のローテーション投手だった定岡正二は近鉄へのトレードを拒み、29歳でユニホームを脱いだ。定岡はトレードを“都落ち”のように受け止めたのかもしれない。

 

 その点、長野は潔かった。

「3連覇している強い広島カープに選んでいただけたことは選手冥利に尽きます。自分のことを必要としていただけることは光栄なことで、少しでもチームの勝利に貢献できるように精一杯頑張ります。

 

 巨人では最高のチームメイトに恵まれ、球団スタッフ、フロントのみなさんの支えのおかげでここまで頑張ることができました。」

 

 立つ鳥跡を濁さず、である。

 

 天才肌か、努力型か――。二つに分ければ、長野は前者である。「人柄はいいが、練習熱心ではない」という指摘もある。

 

 新天地となる広島の練習量は、12球団でも1、2を誇る。しかも本拠地は天然芝。「下半身を鍛え、再始動するには最適な球団なのでは……」との声も上がる。

 

 他にもモチベーションに火をつける材料がある。長野は16年に国内FA権、18年には海外FA権を取得している。それなりの成績を残せば、自分を高く売ることができるのだ。人間万事塞翁が馬、である。

 

<この原稿は2019年2月3日号『サンデー毎日』に掲載されたものです>

 


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