4月28日に開幕した北信越BCリーグのペナントレースも、残りわずかとなりました。25日現在、石川ミリオンスターズは2位・富山サンダーバーズとの差はわずか0.5差ながら首位に立っています。春から続いている富山との首位争いもいよいよ大詰め。おそらく最終戦までもつれこむことでしょう。
 僕らはキャンプがスタートした3月18日から、金森栄治監督とともに基本に忠実なプレーをすることを最大テーマにチームづくりをしてきました。それは、優勝争い真っ只中の今も全く変わりありません。優勝するためには何が必要か。それは特別なことをすることではなく、これまでやってきた基本プレーを継続していくこと。それだけです。

 どのチームもそうだと思いますが、ペナントレースの経験がない選手ばかりですから、夏以降は疲労との戦いが続いています。NPBの選手でも、疲労がたまってくると、どうしても上半身だけを使おうとしてしまい、プレーが雑になりがちです。そんな時こそ足腰を使ったプレーができるかが重要なのです。

 基本に忠実にプレーするというのは、決して楽なことではありません。逆に華麗なプレーよりもキツイかもしれません。ですから、日常の練習の中で正しい基本を繰り返すことで、自然と体力強化にもつながっていくのです。

 また、下半身を使うことは故障の予防にもなります。実は肩やヒジといった上半身に比べて、腰や足といった下半身はその10倍以上の強さがあります。ですから、肩やヒジが故障してしまうとなかなか回復しませんが、足腰には多少負荷がかかっても、耐えることができます。そのため、ピッチャーもバッターもきちんと下半身を使えば、故障もしにくくなるのです。

 石川の選手は資本である体づくりをするために、練習後に金沢市のスポーツジムに通っています。そこではチーム専属トレーナーの下、個人個人にメニューがつくられ、トレーニングを行なっています。さらに、不安な部分があればチェックしてもらうなど、相談の場ともなっています。

 選手はこうしてキャンプの時から、プロ選手としての体づくりを地道に行なってきました。今、優勝争いに食い込んでいるのも、こうした努力のがあってこそのものなのです。

  自ら切り開いたレギュラーへの道

 さて、ここにきてようやくレギュラーの座をつかんだのが座親孝一(専修大出身)です。これまでは途中出場ばかりで一度も先発メンバーに選ばれたことはありませんでした。しかし、彼は毎日早めにグラウンドに出てきて、練習前に30分ほど個人ノックを受けるなど、努力することを惜しみませんでした。

 そんな彼にチャンスが訪れたのは8月に入ってからでした。それまでライトのレギュラーは大久保諭(名城大出身)や三宅翔平(徳島インディゴソックス出身)でした。しかし、大久保はバッティングの面でなかなか結果を出すことができず、一方の三宅は守備に不安がありました。そこで、8月10日の新潟アルビレックスBC戦では三宅をDHにし、座親をライトで先発させてみたのです。

 実は、座親の本業は内野手。しかし、うちのチームでは「全員が戦力」という考えから、普段から内野手にも外野守備を、外野手にも内野守備の練習をさせています。ですから、座親をライトで試してみることにしたのです。

 その試合でエラーも出さず、ソツなくライトの守備をこなした座親は、今ではすっかり先発メンバーに定着しました。20試合に出場してエラーは2つですから、十分に合格点をあげられると思います。

 彼が最も課題としていたのがバッティングでした。これまでバットを長く持っていた彼に私はこうアドバイスしました。
「富山の宮地克彦はNPBで(2軍時代も含めて)1000本安打近く打ってきた選手だ。その宮地が今でも人一倍短くバットを持っている。なぜだか、考えてみろ」

 それ以来、彼はバットを短くもちコンパクトなスイングをするようになりました。と同時に、これまでずっと言い続けてきた腰の回転を利かせたスイングができるようになったのです。徐々にバッティングの調子を上げた座親は、25日現在で打率は2割9分3厘。これはレギュラーの中でもトップ3に入る数字です。

 彼は何も特別なことをしたわけではありません。チャンスが与えられたときに、普段の練習でやってきたことを出し切った。それがレギュラーへの道を切り開いたのです。ですから、他の控え選手にはいい刺激になっているでしょうね。自分たちがやっていることは間違いではないということも改めてわかったことでしょう。実際、全体練習前には10人近くの選手が早出練習している姿が見受けられるようになりました。そのほとんどが控え選手なのです。

 今シーズンも残りわずかとなりましたが、1試合も気を抜くことは許されません。誰か一人欠けても石川の優勝はあり得ない。選手全員が一致団結しなければ、初代チャンピオンの座を奪うことはできないでしょう。いつも応援してくれているファンのためにも、優勝目指して最後まで全力でいきたいと思います。



中居殉也(なかい・じゅんや)プロフィール>:石川ミリオンスターズコーチ
1972年5月14日、石川県出身。金沢高時代には1年夏と3年春の2度甲子園に出場。91年にドラフト外でダイエー(現ソフトバンク)に入団。95年に現役引退後、ブルペン捕手2軍バッテリーコーチとしてダイエー、ソフトバンクを支えた。07年より石川ミリオンスターズのコーチに就任した。




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