プロ転向を宣言した羽生結弦の生き様を見るにつけ、脳裡をよぎるのが米国のノーベル賞作家ジョン・スタインベックの名言である。

 

<天才とは、蝶を追っていつのまにか山頂に登っている少年である>

 

 羽生にとっての「蝶」とは小学生時代に師事した都築章一郎から「王様のジャンプ」と教え込まれた「アクセル」である。アクセルという名の蝶を無我夢中で追いかけているうちに、山中奥深くにまで来てしまった。

 

<羽生結弦 右足首>で検索するとおびただしい数の記事が出てくる。靭帯損傷、捻挫、負傷、完治せず…。野原で蝶を追いかけているうちは危険とは無縁だが、山頂に近づくにつれてリスクは格段に高くなる。天気が激変することもあれば、地滑りや山崩れに遭遇することもあるだろう。

 

 まして羽生が追いかけている蝶は、まだ世界で誰も捕獲したことのないクワッドアクセル(4回転半ジャンプ)という最貴種なのだ。近づくと逃げ、立ち止まると近づいてきた。私を捕まえてみてごらんよ、とでも言わんばかりに。

 

 満身創痍の状態で臨んだ北京五輪。フリー前日の練習で古傷の右足首を痛め、強い痛め止めの注射を打って本番のリンクに立った。医師からは「10日間は絶対に安静に」と言われるほどの“重症”だったという。

 

 楽曲の「天と地と」は戦国武将・上杉謙信の半生を描いたものだが、NHKの大河ドラマとして放送されたのが1969年。私は小学4年生だったが、そのインパクトの強さゆえ、謙信を演じた石坂浩二がクライマックスシーンの川中島の合戦(第4次)で、高橋幸治演じる武田信玄に向けた言葉をよく覚えている。「首を渡すか、首をとるか。ふたつにひとつだ」。死を覚悟して単騎、敵陣を突破し、信玄に斬りかかるのだ。その悲壮な姿が果敢にクワッドアクセルに挑んだ羽生に重なった。

 

 冒頭でスタインベックの言葉について触れたが、蝶を追いかけるだけなら誰でもできる。だが追いかけ続けるとなると、生半可な覚悟ではできない。それこそ勝海舟の随筆「氷川清話」に出てくる山中鹿介の逸話ではないが「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」と祈るくらいの気構えがなければ、大事を成すことはできないだろう。

 

 競技会からの引退を表明した羽生にとって、クワッドアクセルは“幻の蝶”に終わるのか。それについて本人は「知見が得られたからこそ、もっとこうやればいい、こうできるんだという手応えがある」と語った。蝶に魅せられた少年は足首の古傷が癒え次第、再び山頂への登り支度を始めるつもりなのだろう。アイスショーという第二幕の開演に向けて……。

 

<この原稿は22年7月27日付『スポーツニッポン』に掲載されたものです>


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