「プロレスに市民権を!」。声高にそう主張する者が増えたのは、1980年代に入った頃からではないかと記憶している。プロレスブームを牽引したアントニオ猪木率いる新日本プロレスには飛ぶ鳥を落とす勢いがあった。にもかかわらず「市民権」を得られないのは「大相撲やプロ野球のようにNHKで放送されないからだ」などというひがみにも似た声が一部から上がり、危うく陳情書に署名させられそうになったことがある。

 

 そもそも「市民権」という言葉自体、どこかプチブル的で、性に合わないと感じていた私にとって、そんなものはどうでもよかった。内田裕也が「ロックンロールにも市民権を!」と叫ぶはずがないのと同様に、猪木もアンチ市民権の人だった。実現はしなかったものの、小さな権利意識にこだわる人が“人食い大統領”と恐れられたウガンダのアミン大統領に対決を迫ったりするだろうか。

 

 その伝でいけば、五輪の実施競技に決まり、昨夏の東京大会で金銀銅合わせて5つのメダルを獲得した時点で、「市民権」は獲得済みといっていいのだろう。スケートボードのことだ。

 

 五輪閉幕後間もなく江東区は、大会終了後に撤去される予定だった有明のスケボー会場を残すことを決めた。同区出身の堀米雄斗の活躍も大きかったが、それ以上に区民・都民に好感され、「市民権」を得たと判断したのだろう。

 

 その一方で、一抹の寂しさも禁じ得ない。米国映画『ビューティフル・ル―ザーズ』に描かれているようにスケボーは、ヒップホップ、パンク、サーフィン、グラフィティ、ファッションをはじめするストリート・カルチャーのひとつである。

 

 ルーザーズ、まさに社会の落ちこぼれ、あるいは、はみ出し者として白眼視される日陰の身ながら、彼らは己の生き方に誇りを持ち、独自の表現にこだわり続けた。路上には規制がなく、その代わり余りある自由があった。そこから90年代を代表する文化が生まれたのである。

 

「僕たちはあくまでスケーターです。選手だとは思っていない。選手と呼ばれる時点で既に違和感があった」。そう語ったのは少年時代から堀米を知る早川大輔だ。東京五輪ではナショナルコーチを務めた。

 

 では今後、スケボーが五輪の巨大市場にからめとられ、骨抜きにされることはないのか。「メダルを獲得するためだけに滑るようになれば、もうスケートボードではない。確かにメダルを取れば有名になりおカネも入ってくるでしょう。はっきり言って、それはスケーターとしてはダサい」。少しホッとした。グラスルーツならぬストリートルーツ。五輪に取り込まれるのではなく、内部から五輪を変えてもらいたい。

 

<この原稿は22年7月20日付『スポーツニッポン』に掲載されたものです>


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