「古豪」という言葉には、どこか寂寥感が漂う。「昔は強かったけど、今はね」。概ね、そんなニュアンスだ。

 

 それでも四国の出身者、わけても高校野球愛好家にとって、高松商(香川)は松山商(愛媛)と並んで特別な存在だ。地元では「タカショー」「マッショー」という愛称で親しまれている。

 

 甲子園の優勝回数こそ7回(春2回、夏5回)の松山商の後塵を拝するものの、高松商も4回(春2回、夏2回)を数える。高松商は栄えあるセンバツの第1回大会(1924年)優勝校だが、第2回大会では両校が決勝で激突し、松山商が高松商の連覇を阻んでいる。

 

 両校ともOBにはお歴々が並ぶ。野球殿堂入りを果たしたOBは高松商が宮武三郎、水原茂、牧野茂の3人に対し、松山商は景浦將、藤本定義、森茂雄、千葉茂、筒井修、坪内道則の6人。両校の野球部の歴史を知ることは、日本の野球史をひもとくことに等しい。

 

 ひとつトリビアを。三味線と太鼓の音をバックに歌い踊りながらじゃんけんをする野球拳。この遊戯も、もとはといえば両校の対抗意識に起因する。今を遡ること88年前、実業団野球で高松に遠征した伊予鉄道電気は高商クラブに大敗する。伊予鉄には松山商出身者が多くいた。夜の懇親会で伊予鉄の選手たちが、景気づけにと即興で披露したのが野球拳だった。そういえば昔、じゃんけんで負けた女性タレントが一枚ずつ服を脱ぐことで高視聴率を稼ぎ出したテレビ番組があったが、あれは“模造品”である。念の為。

 

 今大会のベスト8が出揃った。“私高公低”の現下の高校野球において、公立勢として唯一、名を連ねたのが高松商である。同校にとっては52年ぶりの進出だ。まさに古豪復活、ご同慶の至りである。気の早い話で恐縮だが、夏を制すれば27年以来、実に95年ぶりとなる。

 

 ここで、もうひとつトリビアを。大正、昭和、平成、令和の4元号下の甲子園で勝利をあげた学校が4つだけ存在する。順に松商学園(長野)、高松商、広陵(広島)、広島商(同)――。4元号下での甲子園優勝となると、これは、まだひとつもない。では3元号下で大旗を手にした学校はあるのか。実は2校ある。先に紹介した松山商と東海大相模(神奈川)だ。

 

 だが、昭和38年創部の東海大相模の場合、大正年間の優勝はないため、令和の時代で4元号下の優勝を狙えるのは松山商だけということになる。しかし、同校は2001年の夏を最後に甲子園から遠ざかっている。黄昏の名門に古豪復活と呼べる日はやってくるのか。ライバル高松商の活躍が気付け薬となればいいのだが……。

 

<この原稿は22年8月17日付『スポーツニッポン』に掲載されたものです>


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