元WBC世界スーパーフライ級王者川嶋勝重(大橋)が9月5日、横浜文化体育館で同級3位のアディ・ウィグナ(インドネシア)と対戦し3−0の判定で勝利、再起2戦目を飾った。川嶋は今年1月、王座奪還を懸けたミハレス戦でTKO負け。一時は引退も考えたが6月に再起戦で白星を飾り、今回の勝利で来年1月の世界再挑戦が濃厚となった。
 大橋ジム会長の元WBA・WBC世界ストロー級(現・ミニマム級)王者・大橋秀行氏が、愛弟子・川嶋のミハレス戦までの道のりについて語った。(後編)

※3月に終了した「週刊シミズオクトスポーツ」にて06年8月〜07年3月、不定期連載でお届けした「キーマンの告白 〜陰の立役者たち〜」の再録です。
 初挑戦は判定負け、そして試合前の一言が導いた勝利

 川嶋にとって、ターニングポイントとなった試合はいくつかあります。その中でも、初の世界挑戦となった03年6月のWBA世界スーパーフライ級タイトル戦、チャンピオンの徳山昌守(金沢)に敗れましたが、判定まで持ち込んだというのは大きかった。
というのは、試合の3週間ほど前、ぎっくり腰になって全く練習できなかったんです。寝たきりに近い状態で、ジムに来ることさえできなかった。あの時は僕が一番動揺しましたね。川嶋に1日30回くらい電話して「どうだ、直ったか?」と。本当にブルーな気分で、練習生たちにも影響を与えてしまうからジムにも行かなかった。世界戦が近いというのに川嶋もいない、僕もいない。マスコミは何があったのかと思っていたでしょうね。

 そうしたら残り1週間で奇跡的に治ったんです。公開スパーリングが、初めての練習だった。本当なら試合ができないほどの悪い状態で世界戦に挑み、12R戦い抜いた。判定で負けたのは悔しかったけど、あの状況からここまで来たということは嬉しかった。あの時、川嶋の運の強さを感じましたね。もしあの試合で1Rか2Rで負けていたら、徳山との再戦は実現しなかっただろうし、やめるしかなかったと思います。

 04年6月、徳山への2度目の挑戦に向けて川嶋の調整は完璧でした。ところが試合の2〜3週間前、今度はスパーリングでわき腹を傷めてしまった。本当にガックリきて、川嶋に向かって「お前は世界チャンピオンになれない運命なんだよ」という言葉が、喉まで出かかったんです。寸前でその言葉を飲みこんで「去年の故障を思えば、全然、大丈夫だ。疲れているから良い休養になるよ。ラッキーだよ、勝てるよ」と。

 自分がそう言った瞬間に、勝てる気がしました。数年前から取り組んでいたメンタルトレーニングの成果が出ましたね。ケガをして一番不安に感じているのは本人ですから。あの時、川嶋にかける言葉を間違えていたら、そこで終わっていたかもしれない。我ながらファインプレーだったと思います。
試合当日も、ケガは治っていなかったけど「大丈夫だ、お前は絶好調だ」と。本人も「行きます!」と強気だった。そして試合では1R、右フックで2度のダウンを奪ってKO勝ち。夢だった世界王座を獲得しました。

 あの時は、試合前の心理戦も大きかったですね。僕は「徳山には決定的な弱点がある」などと煽りましたが、あれも作戦です。舌戦をマスコミが取り立てていたことで、相手も心理的に揺さぶりを受けていたと思います。計量のとき、記者を通じて「試合を盛り上げるために言っていることだから、気にしないで」と伝えたら、徳山から「その一言で救われました」と返ってきた。それを聞いて「これはイケるかもしれない」と。
 ただ、その作戦は3度目は通用しない。ラバーマッチでは、徳山はメンタル面も完璧に仕上げてきていました。一戦目、二戦目と技術は変わっていないけど、精神面が全然違いましたね。

 チャンピオンは“生まれてくるもの”だと思っていた

 川嶋の今までの試合を振り返って、一番印象に残っている試合は、やっぱり1RKOで世界王座を獲得した2度目の徳山戦ですね。試合前は負ける気はしなかったけど、本当に勝ったときはびっくりしました。あの時の気持ちは何とも言えない。嬉しかったですね。
 それまで、世界チャンピオンというのは、つくられるものではなく、生まれてくるものだと思っていました。彼のように、素質がない人間でもチャンピオンになれるんだ、世界チャンピオンがつくられる場合もあるんだ、と。川嶋には教えられたことがいっぱいあります。

 僕は小学生の頃からずっと世界チャンピオンを夢見て、死に物狂いで練習して、チャンピオンになった。自分が引退してからは、弟子が世界チャンピオンになることを夢見て、それがまた叶った。世界チャンピオンになるとうことは奇跡に近い。それが2度も味わえるなんて、奇跡のまた奇跡ですよ。

 今回、ミハレス戦で敗れて引退を宣言しましたが、彼のボクシングへの情熱を思うと、またやりたくなるんじゃないかな、と思っています。試合が終わって、マスコミに「引退します」と話した後、控え室で着替えながら、シャドー(ボクシング)をやっていましたからね。試合が終わってシャドーやっているくらいだから、またリングに戻ってくるかもしれない。そのときは新たな目標に向けて突き進むだけですね。

(終わり)

大橋秀行(おおはし・ひでゆき)プロフィール
1965年生まれ、神奈川県出身。現役時代はヨネクラジム所属。戦績は24戦19勝(12KO)5敗。1985年にデビューし、1RKO勝ち。「150年に一度の天才」といわれ、軽量級ばなれした強打者ぶりを発揮した。デビュー7戦目での世界挑戦には失敗するが、その後WBCとWBAのストロー級王座に1度ずつ就く。現役引退後、横浜に「大橋ボクシングジム」を開設。元WBC世界スーパーフライ級王者川嶋勝重を育てた。

(構成 松田珠子)