これは名言なのか、それとも迷言か。「オレはビルの谷間のラーメン屋」。自らの境遇を嘆き、自嘲気味にそう語った政治家がいる。首相になる前の小渕恵三である。

 

 群馬県内の同じ選挙区には首相経験者の福田赳夫と中曽根康弘がいた。文字通りの“双璧”だ。社会党の重鎮・山口鶴男も強固な支持層に支えられていた。中選挙区制とはいえ、生き残るのは容易ではない。つい選挙演説にも熱が入る。「オレも食べてみた。存外、ビルの谷間のラーメン屋は味がいい」。ここで有権者がどっと沸く。これに小渕は味をしめてしまった。

 

 マット界における国際プロレスは「ビルの谷間のラーメン屋」そのものだった。1967年に旗揚げしたものの、81年に倒産するまで後発の新日本プロレスと全日本プロレスの後塵を拝し続けた。アントニオ猪木率いる新日本、ジャイアント馬場擁する全日本。堂々たる興行の顔だ。翻って国際には絶対的エースがいなかった。

 

 興行で苦戦を強いられる国際の吉原功社長は、あの手この手で、アイデアをひねり出した。そのひとつが、さる8月26日、73歳で死去した鶴見五郎のヒール転向である。大位山勝三と組んだ“独立愚連隊”は、国内のリングにおける“反会社的勢力”(反社会ではない、念のため)の草分けではなかったか。

 

 ある地方大会で自らのカードが組まれていなかったことに腹を立てた鶴見は、あろうことか社長に“暴行”を働く。これがもとで選手会を除名になり、アウトローの道を歩み始めるのだ。

 

 今でこそ珍しい存在ではなくなったが、1970年代初頭、非体育会系の学士レスラーは数えるほどしかいなかった。しかも鶴見は理学部物理学科出身という変わり種でインテリレスラーと呼ばれていた。欧州で正統派のレスリングを習得した鶴見を悪党に変身させたところに吉原のセンスを感じる。苦肉の策といえば、それまでだが…。

 

 外国人といえばヒールが当たり前の時代、常識を覆して英国出身のビル・ロビンソンをエースに抜擢したのも吉原だ。華麗にして強力な必殺技ダブルアーム・スープレックスを初めて目にした時の衝撃は忘れられない。ニックネームの“人間風車”はベアハッグを得意にしたブルーノ・サンマルチノの“人間発電所”と並んで白眉である。

 

 アイデアマンの吉原は日本初の金網デスマッチもプロデュースしている。実力がありながら、いまひとつ地味な存在だったラッシャー木村の流血ファイトは、国際の目玉となり、以降、“金網の鬼”の異名が定着する。

 

 しかし、手品のタネは、やがて尽きる。ビルの谷間の自転車操業にも限界があった。今月30日、国際プロレスは42回目の命日を迎える。

 

<この原稿は22年9月7日付『スポーツニッポン』に掲載されたものです>


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