今月に入り、リングの英雄たちの訃報が相次いでいる。プロレスラーのアントニオ猪木に続き、今度はプロボクサーのエデル・ジョフレだ。4日、ブラジル・サンパウロ州で肺炎による合併症のため他界した。86歳だった。

 

 ボクシングには2つの評価軸が存在する。ひとつが、あらゆる階級を通じて、一番強いボクサーを決める「パウンド・フォー・パウンド」。そして、もうひとつが、あらゆる時代を通じ、その階級で最強のボクサーを決める「オール・タイム・ランキング」。ジョフレこそは、今もなお史上最強のバンタム級王者である。

 

 アマで150戦し、メルボルン五輪にも出場したジョフレのボクシングは、まるで“精密機械”を見るようだった。ガードを高く保ち、2つのグローブで顔を隠すピーカブー・スタイルは、あのマイク・タイソンが参考にしたと言われている。

 

 無敗のジョフレに初めて土を付けたのがファイティング原田だ。彼のボクシングもタイソンによってコピーされた。タイソンを育てたカス・ダマトの盟友ジム・ジェイコブスはボクシングビデオの蒐集家(しゅうしゅうか)としても知られ、研究用に両雄の対決を見せたのだ。

 

 1965年5月18日、原田は愛知県体育館でジョフレに挑戦し、判定勝ちでフライ級に続き2階級を制した。ジョフレは9度目の防衛に失敗した。

 

 ジョフレが精密機械なら原田は“狂った風車”だ。序盤、リズミカルなフットワークからジャブ、ワンツーを繰り出し、接近戦ではボディを狙い打った。そして、伝説の4ラウンドがやってくる。「あのパンチだけを練習していた」と語る右アッパーでグラリとさせるや、ここを先途と、あらゆるブローを繰り出し、ジョフレを棒立ちにさせる。ロープを背負わせ、再びブローの嵐。精密機械が乱気流に巻き込まれ、機能不全に陥る様は圧巻だ。

 

 しかし、さすがは「ガロ・デ・オーロ」(黄金のバンタム)である。ダメージをしこたま負ったはずなのに、それをものともせずに、逆襲に転じたのだ。5ラウンド、左のショートアッパーからの連打で原田の動きを止め、左右のフック、さらにはフルスイングのアッパー。よろける原田は帰るべきコーナーを間違えた。今度は挑戦者がゴングに救われた。ボクシング史に燦然と輝く昭和の名勝負、そして名シーンである。

 

 ジョフレは、この1年後にも原田に敗れている。精密機械は狂った風車とは相性が悪かったようだ。一昨年、原田にジョフレについて聞くと、こんな答えが返ってきた。「オレは(日本人で初めて)2階級制覇したけど、それよりジョフレに勝ったことの方がうれしかったよ。だって最強の男なんだから……」。これ以上の賛辞は他にあるまい。合掌。(文中敬称略)

 

<この原稿は22年10月5日付『スポーツニッポン』に掲載されたものです>


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