サッカー日本代表を率いる森保一を見出したハンス・オフトのオランダ訛りの英語は、聞き辛い半面、キーワードを多用するため、理解するのは、さほど困難ではなかった。

 

 たとえば「スモール・フィールド」「アイ・コンタクト」「トライアングル」「ターゲットマン」……。なぜ無名の森保を代表に選出したのか。オフトに聞くと3つのキーワードを口にした。「ディシジョン・スピード」「ダーティーワーク」。そして「エスティメイション」。新鮮だったのは3番目だ。ゲームを予測する能力に長けている、ということを言いたかったのだろう。

 

 オフトの言う「エスティメイション」が最大限発揮されたのが、1992年秋、森保が所属していたサンフレッチェの地元・広島市で行われたアジアカップだ。決勝でサウジアラビアを1対0で破った日本は、この大会初優勝を果たす。しかし、準決勝の中国戦で、この大会2枚目のイエローカードをもらった森保に出番はなく、手持ち無沙汰にしていると、不意にあるカメラマンから声をかけられた。

 

「オレたちでつくった賞があるんだけど、受け取ってくれないか?」。決勝戦が始まる直前のことだ。振り向くと葉書きサイズの写真付きオルゴールを手にした別のカメラマンが近付いてきた。「これはオレたち皆でカネを出し合ってつくったプレゼント。今大会、キミは何ひとつ賞をもらえなかったけど、キミが実質的なMVPであることは、オレたちが一番よく知っている」

 

 この大会、MVPには1試合ごとに1000ドルから2500ドルの賞金と盾がスポンサー企業から手渡された。三浦知良、北澤豪、福田正博、柱谷哲二らが賞金の目録と盾を手に颯爽とカメラに収まる中、森保だけは一度もお呼びがかからなかった。それをカメラマンたちは不憫に感じたのだろう。

 

 もちろん同情からではない。ピンチの場面、シャッターを切ろうとすると、決まって背番号「17」が現れ、リスクの芽を素早く摘み取り、スッと消えていく。プロの記録者たちは、その一部始終をファインダー越しに確認していた。「名人は名人を知る」にならって言えば、「職人は職人を知る」である。

 

 これは後年、森保本人から聞いた話だが、葉書きサイズの写真には「僕がドリブルで仕掛ける姿が映っていた」というのである。「ワンタッチ、ツータッチではたく僕には、ほとんどボールと一緒に映っている写真がない。その瞬間を撮った貴重な写真だったんです」

 

 その経験に依るものではあるまいが、今も森保は一枚の写真から得る情報を大切にする。そこにゲームの見積もり、すなわちエスティメイションのヒントが隠されていると考えているのかもしれない。運命のドイツ戦まで、あと7日。

 

<この原稿は22年11月16日付『スポーツニッポン』に掲載されたものです>


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