北京五輪予選を兼ねた近代五種競技の世界選手権が、8月14〜23日、ドイツ・ベルリンで行われる。斎藤英之(警視庁)、藤森勇希(自衛隊)、佐々木弘樹(同)とともに、愛媛県八幡浜市出身の平田栄史(同)が日本代表入りを果たした。
 近代五種競技は、射撃(エアーピストル)、フェンシング(エペ)、水泳(200メートル)、馬術(障害)、ランニング(クロスカントリー3000メートル)の5種目を1日で行い、その合計得点を争うハードな競技だ。
(写真:ランニングの練習での一場面)
 現在29歳の平田が、この競技を始めたのは23歳のとき。元々は競泳のバタフライ選手だった。八幡浜高校時代には愛媛県大会や四国大会を制するなど活躍した。
 地元・愛媛で実業団の大会に出ていたときにスカウトを受け、自衛隊体育学校入りと同時に、近代五種を始めた。
「水泳では日本のトップになるのは難しかったので、近代五種だったら面白そうだし、やってみようかな、と」
 自衛隊体育学校入り後は着実に力をつけ、3年目には、アジア選手権の日本代表に名を連ねた。だが、当時流行したウィルス「SARS(サーズ)」の影響で、選手派遣が取りやめに。初の代表として試合に出ることは叶わなかった。
 その後、自衛隊の昇級試験に合格したことで、訓練のため競技を一時的に離れることになった。約1年に及ぶ訓練を終え、競技に復帰した後は、膝の故障や坐骨神経痛などに悩まされた。
「それまで上り調子だったんですけど、訓練から戻ってきてからは怪我が続いて大変だった。何度も辞めようと思いました」
 6年目の昨年、坐骨神経痛による半年に及ぶブランクから「やっとの思いで」復帰。そしてアジア選手権の代表メンバーに選出される。3年ぶりの代表入りで、「北京五輪」という目標が視野に入ってきた。
 だが、その後、北京五輪選考会を兼ねた今年5月のアジア・オセアニア選手権代表入りを逃す。「もうダメかな……」。そんな思いもよぎったが、チームの小佐井達哉監督から「まだオリンピックの可能性は0%じゃないから」と励まされ、気持ちを切り替えた。
 そして世界選手権の国内選考会で2位に入り、今回の代表入りを決めた。5種目の中で、平田が「弱点」と自認するフェンシングを強化すべく「先輩に頼んで、練習が終わった後に残ってもらって、技術を教えてもらった」ことも、結果につながった。

 近代五種競技について、平田は「キツいの一言です」と苦笑する。だがもちろん、面白さもある。「やっぱり技術系の種目は、自分が上達しているのがすごくわかる。それが自信にもつながりますね」。始めた頃は、水泳を得意としていたが、今は「馬術が面白い」と言う。
 小佐井監督も「平田は、入った頃から射撃、ランニング、水泳が強くて期待されていた。たまたま故障が続いてしまったが、もともと持っている素質は素晴らしい。ここにきて馬術も上達してきた。年齢的にはベテランだが、まだまだ伸びる要素は持っていますよ」と期待を寄せる。
(写真:弱点だったフェンシングの強化が世界選手権の国内選考での結果につながった)

 今年5月、北京五輪の選考会を兼ねて行われたアジア・オセアニア選手権で、同じ自衛隊体育学校所属の村上佳宏が5位に入り、この種目で92年バルセロナ五輪以来16年ぶりとなる北京五輪出場権を獲得した。同じ場所で練習してきた1学年上の先輩の快挙は、もちろん刺激となっている。
「年齢も近いし、自分も頑張ろうという気持ちになりますね」
 世界選手権での目標は、「決勝に残って上位に入りたい」。北京五輪の代表権を得るにはメダル獲得が条件となり現実的には厳しい。だが、少しでも上位に入ればポイントが得られ、さらにその後に海外の試合でポイントを重ねることができれば、ランキング枠での北京五輪出場の可能性も残されている。
「可能性が0%でないなら、できるところまで頑張りたい。まずは、世界選手権のことだけを考えています」
 近代五種競技を始め、7年目で掴んだ世界大会の切符。その先にさらなる可能性を見出すため、全力で挑むつもりだ。


平田栄史(ひらた・えいし)プロフィール
1978年愛媛県八幡浜市出身。小学校の頃から競泳を始め、高校時代にはバタフライ種目で愛媛県大会、四国大会を制する。自衛隊体育学校入りと同時に近代五種を始める。06年アジア選手権代表。07年世界選手権(8月14〜23日・ベルリン)代表。
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