第21回参議院議員選挙は29日、投開票が行われ、愛媛選挙区で愛媛FCの主将を務めた友近聡朗氏(無所属新人)が378,813票を集め、前職の関谷勝嗣氏(自民)らを破り、初当選を果たした。元Jリーガー初の国会議員誕生となる。
(写真:当選が決まり、万歳する友近氏)
 友近氏は1975年、愛媛県生まれ。南宇和高時代は全国高校サッカー選手権大会で2年時にFWとして活躍し、ベスト8入りした。早稲田大学を卒業後は単身ドイツへ渡り、地域に密着したサッカークラブに触れ、帰国した。
 その後は地元のクラブである愛媛FCの中心選手として活躍し、小柄ながらスピードあふれるドリブルを武器にJFLで通算51ゴールをあげた。06年、クラブはJ2昇格。2試合に出場したが、ケガなどもあり、シーズン限りで現役を引退した。引退後は県内各地でサッカー教室などを開き、地元に根ざした活動を行っていた。

 出馬表明したのは今年2月。「愛媛維新」を合言葉に、民主党、社民党、国民新党の推薦を受け、愛媛20市町村キャラバンを実施し、県内をくまなく回った。年金問題や政治とカネをまつわる問題で全国的に野党候補に追い風が吹く中、サッカーボール大のチラシや10万人握手キャンペーンなどを実施。無党派層をうまく取り込んで、閣僚経験のある前職を破り、保守王国に新風を吹かせた。
(写真:握手した人数は111,092人。事務所前にはボードが掲示された)

「選挙期間中、全国で一番走ったという自負がある」
 当選した友近氏はそう胸を張る。元スポーツ選手とはいえ、慣れない政治の世界での戦いに体がきついと感じたこともあった。しかし、「もっと苦しい生活をしている人が県内にはたくさんいることが分かった。その人たちを救ってあげるのが政治の役目」とスピードを緩めることなく、走りきった。

 日に日に手ごたえは感じていた。「みなさん、ふるさとは好きですか? 愛媛は好きですか? 私は大好きです」。街頭演説では必ず、この言葉を枕に置き、県民に自らの思いを訴え続けた。「選挙の経験はないが、これで愛媛が変わることがなければ、もう変わることはないだろう」。選挙戦最終日には「最後の最後で手ごたえを感じました」と高らかに宣言してみせた。
(写真:「ひとりではできない、みんなならできる!」。最終日も声を枯らしながら訴えた)

 午後9時すぎ、各社の報道で友近氏の当確が次々と発表され、会場が沸きあがる中、本人が登場。「愛媛にJリーグができるときも、2週間で22万人もの署名をいただいた。今日はわずか1日でそれ以上の『友近』という声をいただいて本当にうれしい」と喜びを表現した。

 議員として真っ先に取り組みたい政策としてはスポーツを通じた地域振興をあげる。「Jリーガーから政治家となるが、ふるさと振興という意味では自分の役割は変わらない。これからは“地方らしさ”が国をつくる。地方でも豊かに生きていける社会を目指したい」。現役時代から続けていたサッカー教室も「本当は今日からやりたかった。多くの子どもたちが待っている」と今後も継続していく予定だ。

 今回は無所属での当選となったが、国会内での会派入りの可能性については、「立ち位置は必要だが、私は愛媛県民のみなさんに選んでいただいた立場。その声をしっかり聞いた上で、信念を持って行動していく」と現時点では態度を明らかにしなかった。

 もちろん議員になっても「先生」と呼ばれるつもりはない。「友近でもズーパーでもいい。愛媛県民150万人が先生。生涯“書生”のつもりで学ばせていただきたい。みなさんの声をしっかりと届けていくことが自分の役目」と語る。「愛媛に生まれてよかった、日本に生まれてよかったと思えるふるさとをつくる」。議員としての決意を改めて述べ、国政という名のピッチでも真っすぐに走り抜くことを誓った。


 当HP編集長・二宮清純の携帯サイト「二宮清純.com」では友近氏の現役時代から随時、コラムを配信していました。サッカーの話題を中心に自らの思いを熱く綴ったスポーツコラムになっており、今後も継続して更新予定です。最新コラム、「11万人との握手」を30日に更新します。

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