アルゼンチン対フランスの決勝が行われたカタールの首都ドーハ近郊のルサイル競技場。ある意味、ピッチ上の選手たちよりも目立っていたのが、貴賓席でジャンニ・インファンティーノFIFA会長の隣に座って観戦していたフランスのエマニュエル・マクロン大統領だ。立ち上がったり、拍手をしたり、唇を噛んだりと大忙しだった。

 

 フランスはPK戦の末に敗れたものの、マクロンは試合後、ゴールデンボール賞に輝いたリオネル・メッシを祝福し、アルゼンチンサポーターから拍手を浴びたりもした。

 

 この4日前には、フランスに敗れたモロッコのロッカールームを「我々(フランス人)の友情を伝える」ためにわざわざ訪ね、握手やハグを通じて選手たちの健闘を称えた。それをSNSで伝える周到さには舌を巻かされた。

 

 フランスとモロッコの間には植民地支配を巡る複雑な歴史がある。また移民の中にはイスラム過激思想に染まった者もいる。2015年に発生したパリ同時多発テロ事件のモロッコ系ベルギー人容疑者は、サンドニの移民街に潜伏していた。

 

 労働力不足を補うことで始まったフランスの移民政策は、リスクをはらみながらも、それなりに練り上げられていった。しかし18年から政府は不法移民管理強化に乗り出した。過去の寛容な移民政策に厳しい視線を向ける保守層の支持をつなぎ止めるためだ。マクロンはサッカーを、国内で加速する分断の中和剤と意味づけているのではないか。人権問題などが野党から指摘される中でのカタール訪問。行動の裏には、したたかな打算が見てとれた。

 

 フランスがW杯を初めて制した1998年の夏といえば、マクロンがパリ政治学院に入学して間もない頃だ。彼は、これまで見たこともない光景を目のあたりにする。「レ・ブルー」が巻き起こした社会現象である。決勝はイヴ・サンローランのファッションショーで幕が開き、クイーンの「We Are The Champions」で締めくくられた。ブラジルを倒したその夜、シャンゼリゼは“パリ解放”以来150万人の人波であふれ返った。

 

 アルジェリア系移民のジネディーヌ・ジダンを中心とする「レ・ブルー」に最も批判的だったのは極右政党・国民戦線(現・国民連合)のジャン=マリー・ル・ペン党首だった。「両親が国歌を歌えないチームが、本当に代表チームと言えるのか」。このチームには現監督のディディエ・デシャンもいた。彼はバスク系だ。「(ル・ペンの考えは)フランスの価値観に合わない」。そう反駁するジダンの姿に、マクロンはフランスの未来を見たのではないか。彼はその後、2度に渡ってル・ペンの娘・マリーヌと大統領の座を争い、勝利を得る。

 

 フランスは23年にラグビーW杯、24年にはパリ五輪・パラリンピックとスポーツのメガイベントを連続して開催する。その場を外交巧者のマクロンは最大限利用するだろう。本田圭佑なら、こう言うか。「オマエ、もう出てくるな!」。

 

<この原稿は22年12月21日付『スポーツニッポン』に掲載されたものです>


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