WBA世界フェザー級のベルトを7年間保持し、19回も防衛を重ねたエウセビオ・ペドロサ(パナマ)から王座を奪ったアイルランド出身のバリー・マクギガンは「どうしてボクサーになったのですか?」とのシンプルな質問に、こう答えたという。「詩人にはなれない。物語を語る、やり方を知らないんだ…」

 

 日本の新旧世界王者も琴線に触れる言葉を数多く残している。そのいくつかを紹介しよう。

 

 まずは“炎の男”の異名を取った元WBA・WBC世界スーパーウェルター級王者・輪島功一。「ボクシングはリングの中のかくれんぼだよ。隠れ場所なんて探せばいくらでもあるんだ」。これには前段がある。「ボクシングの世界には“リングに逃げ場所はあっても隠れ場所はない”という格言があるが?」との私の質問に輪島は「あんなのウソウソ」と否定し、先の言葉につなげたのだ。輪島と言えば代名詞は短いリーチを補うために編み出した“カエル跳び”だ。これに海外の強豪は戸惑った。相手の視界から消える行為そのものが、輪島にとってはかくれんぼだったのである。

 

 続いては世界4階級制覇王者の井岡一翔が、ある時口にした「未来が変われば、過去も変えられる」。よく聞くのは「未来は変えられるが、過去は変えられない」。発言の真意について聞くと、若き日の井岡は殊勝な面持ちで答えた。「もし、まわりの人たちが“あの時の負けがあるからこそ、今の井岡がある”と言ってくれるのであれば、それは過去が変わったことになる。負けた辛い過去が、輝く過去となり、過去(の概念)そのものが変わるんです」

 

 元世界3階級制覇王者の長谷川穂積も名言を残している。「勝負の世界では勝者の言葉しか存在しない」。この言葉を発したのは、WBO王者フェルナンド・モンティエル(メキシコ)との事実上の統一戦に敗れた直後だ。4回、残り7秒で食った左フックが命取りとなった。「仮に、あれがラッキーパンチだったとしても、本人が“狙っていた”と言えば真実になる。逆に負けた側が“ラッキーパンチだった”と言っても言い訳にしかならない。勝者の言葉は絶対なんです」

 

 世界バンタム級4団体統一王者となった井上尚弥の「ドラマにするつもりはない」も名言だ。ノニト・ドネア(フィリピン)との初戦(19年11月)、井上は2回に左フックを食い、眼窩底骨折を負った。右目の視界を遮られた井上は、残された左目の視力だけを頼りに戦い、判定勝ちを収めた。ハンディをものともしない底力は“モンスター”そのものだった。先の言葉が飛び出したのは6月の再戦前。有言実行。2回TKO勝ち。異次元の強さに、私たちは言葉を失った。

 

 ドラマはギリシャ語の「ドラン」に由来する。元々は「行為」や「行動」という意味だが、「行為者」や「行動者」を指す場合もあるという。ならば井上尚弥そのものが、もはやドラマであると考えるべきかもしれない。彼はドラマの「客体」ではなく「主体」なのだ。

 

<この原稿は22年12月14日付『スポーツニッポン』に掲載されたものです>


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