運がないのか、縁がないのか…。GI 16勝は競輪史上最多、グランドスラム達成(6冠)、賞金王には5回も輝きながら、神山雄一郎には未だに手にしていないタイトルがある。毎年12月30日に行われるグランプリ(GP)だ。

 

 これまでの出場回数は、史上最多の16回。何度も1番人気に推されながら2着が4回(95~98年)。オリンピック風に言えばシルバーメダルコレクターだ。

 

 忘れられないのは95年、立川でのGPだ。神山は史上初となる「2億円突破」をこのレースにかけていた。それを阻止したのがライバルの吉岡稔真。「オッズを見て燃えた」という吉岡は懸命に逃げる神山を猛然と追い上げ、まくり切った。

 

 翌日の本紙には<不死身吉岡 意地のV>との見出しが躍った。9月にコロンビアで行なわれた世界選手権で落車した吉岡は左鎖骨を骨折、ぶっつけ本番でのレースだったからだ。

 

 別の意味で01年、平塚でのGPも忘れられない。「21世紀になれば運気も変わる」。神山は自らにそう言い聞かせてスタートラインについた。しかし、見せ場さえつくることができず最後の直線前で児玉広志と接触し、落車。暮れなずむバンクに映し出されたシルエットには、哀感が漂っていた。

 

 今回、私が秘かに注目している平原康多(埼玉)も18年の静岡で落車の憂き目を見た。3コーナーで落車した平原は、壊れた自転車に再乗し、最後は引きずりながらゴールした。「頑張れ!」「もう少しだ!」。背中を押すオヤジたちの声。平原は「負けたのに幸せだなと思った」と、しみじみ語った。

 

 神山同様、平原もGPのタイトルには縁がない。13回目の出場は今大会最多ながら、最高着順は2着(08、21年)。26歳でGPに初出場した平原もこの6月で40歳になった。10年連続GP出場は神山の11年連続に次いで歴代2位タイ。

 

 平塚での今年のGPは4人が出場する北日本が中心となる。2車と2車に分かれるのか4車が連結するかに注目が集まっていたが、合議制により新山響平(青森)、新田祐大(福島)、守澤太志(秋田)、佐藤慎太郎(福島)の並びに決まったという。“鎌倉殿の13人”は主導権争いの末、抗争と分裂を繰り返したが、46歳の佐藤を総大将とする東北衆の結束は固い。守澤は「僕らはもめない平和主義者」と語っていた。

 

 11月の競輪祭は新田の先行により新山が優勝し、ギリギリで滑り込んだ。晴れてチーム北日本の仲間入りを果たした新山は捨て身の逃げを打つかもしれない。平原と郡司浩平(神奈川)、松浦悠士(広島)の単騎3人衆は、どう出るか。「3人とも考えてることは同じ」と平原。位置取りを巡ってはバッティングする可能性もあるが、3人とも名うてのレース巧者だ。怖いのは、地元GP制覇に並々ならぬ意欲を示すオールラウンダーの郡司か…。

 

<この原稿は22年12月28日付『スポーツニッポン』に掲載されたものです>


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