シンクロニー現象という心理学用語がある。相手に好意を持ったり、敬意を抱いたりすると、知らず知らずのうちに所作や行動が似てくる傾向のことを言う。

 

 スポーツの現場においても、シンクロニー現象の発生は、古くから確認されている。仮にAというコーチから高校時代、熱心に指導を受けたBという選手がいたとする。長じてコーチになったB、指導方法はもちろん、身振りや言葉づかいまで恩師のAそっくりに――。

 

 第2期政権をスタートさせる日本代表監督・森保一には、自ら「人生の師」と公言する指導者がいる。サンフレッチェ広島の元GM今西和男だ。

「僕の人生を振り返ると、高校生までは単にサッカーが好きなだけの少年でした。社会人になり、人としてサッカー選手として教育していただき、僕の人生に最も大きな影響を及ぼしたのが今西さん。僕は間違いなく今西さんに育てられ、今があるわけです」。

 

 今西に初めてインタビューしたのは、Jリーグがスタートする前年の1992年。以来、その人柄に魅せられ、断続的にインタビューを重ねてきた。そのきっかけをつくってくれたのは日本のプロ野球で初のGMと呼ばれた根本陸夫(故人)だ。新し物好きの根本は新設されるJリーグに興味を抱き、「僕のような仕事をしてる者の話も書いてくれよ」と水を向けた。唯一、その任に当たっていたのが今西だった。

 

 7日からの3連休を利用して、今西のインタビュー録を読み返した。今西が師と仰ぐのが母校・東京教育大(現筑波大)監督の太田鉄男である。高校2年で柔道からサッカーに転じた今西は太田から「キミは下手くそだ。しかしフィジカルが強く、人に負けたくない、という気持ちが素晴らしい」と長所を見出され、1年時からレギュラーに抜擢される。「野球には考える時間があるが、サッカーは瞬時に判断しなければならない。いざという時のために気付いたことを書きとめておきなさい」。

 

 東洋工業時代に日本代表入りを果たした今西は、恩師の言い付けを守り、大学ノートにコーチの指示や自らの気付きを書きとめた。それを見た代表監督の長沼健がある日、全選手に、こう指示した。「今西君を見習ってサッカーノートをつくりなさい。キミたちは、いずれ指導者になる人材だ。経験を記録しておきなさい」。

 

 サンフレッチェのGM時代も今西は片時もノートを手放さなかった。「車を運転していて、信号待ちしている間もハッと頭に浮かんだことはメモしています。一度危うくぶつかりそうになったことがあります(笑)」。

 

 カタールW杯では随分、“森保ノート”の存在が話題になった。過日、久しぶりに今西に電話を入れた。

「聞く、話す、書く、そして考える。私が彼に教えたのは基本中の基本です。彼には選手だけで終わってほしくなかった。そこから先の人生でも成功してもらいたかったんです」。そう言えば最近の森保の話しぶり、どこか今西に似てきた。気のせいだろうか……。

 
<この原稿は23年1月11日付『スポーツニッポン』に掲載されたものです>

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