その人物が楽観主義者か悲観主義者かを見分けるにあたり、ドーナツをリトマス試験紙代わりに利用する方法がある。これは俗に“オスカーの手法”と呼ばれるもので、「幸福な王子」などで知られるアイルランド出身の作家オスカー・ワイルドの格言「楽観主義者はドーナツを見て、悲観主義者はその穴を見る」に因んでいる。

 

 要するに、自分の前に差し出されたドーナツを見て「うまそうだな」「さぁ、食べよう」と、身を乗り出す者は楽観主義者。食べる前に穴の大きさに目が行き「損したな」とネガティブな気持ちになる者は悲観主義者というわけだ。

 

 かつて米国のビジネス社会では“ドーナツ・テスト”の結果、後者より前者の方が優遇される傾向があったというが、それによって成功の確率が上がったというエビデンスは存在しない。

 

 またワイルドには次のような格言もある。「善人はこの世で多くの害をなす。彼らがなす最大の害は、人びとを善人と悪人に分けてしまうことだ」。人間誰しも善人的な面もあれば、悪人的な面もある。そう簡単にあなたは善人、あなたは悪人と分けるのは間違いだ――。ワイルドはそう言いたかったようだが、その伝でいけば、楽観主義者と悲観主義者に関しても、はい、あなたはこちら、と簡単に振り分けるわけにはいかないだろう。いろいろな貌を持ち、また、それを時と場合によってしたたかに使い分けるのが人間なのだから。

 

 それを理解した上で、それでもあなたはドーナツのどこを見ますか、と聞いてみたくなる時がある。先頃、続投の決まったサッカー日本代表監督・森保一にテストを試みると「ドーナツですね。僕はおいしいところを見ます」と即答した。予想していた通りだった。カタールW杯でのドイツ戦前、自信満々の表情でインタビューに答える様子が脳裡に残っていたからだ。「いや、本当に楽しみで仕方なかったんです。選手たちが、そういう気持ちにさせてくれたのかもしれません」

 

 その一方で森保はリアリストでもある。リアクションサッカーから次のステージへの展望について聞くと「やらなかった、とできなかったは違うんです」と前置きして、こう答えた。

 

「現実問題として、自分たちがボールを握りたくてもできなかった。相手が強かった。その部分での理想と現実は切り分けて考えるべき。これからも状況や流れに応じて最適な選択をしていくしかない。その部分は変わらないと思います」

 

 昨年8月に90歳で他界した京セラの創業者・稲盛和夫から教わった言葉がある。「楽観的に構想し、悲観的に計画し、楽観的に実行する」。大風呂敷を広げつつも、起こりうる最悪の状況を常に想定して解決策を練り、腹を決めたら退路を断って果敢にやり抜く――。森保の思考法に近いのではないか。

 

 さて、私はと言えばドーナツの穴のかたちの方が気になる。子供の頃からだ。この手の天邪鬼タイプは、どうもリーダーに向かないらしい。

 

<この原稿は23年2月1日付『スポーツニッポン』に掲載されたものです>


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