「当たり前と言ったら当たり前」。テニス界のレジェンド杉山愛がテレビで語ったように、4大大会で歴代最多の50勝(シングルス28勝、ダブルス22勝)、パラリンピックのシングルスで3回の優勝を果たした車いすテニスプレーヤー国枝慎吾への国民栄誉賞授与に異を唱える者はいないだろう。まだ検討段階とのことだが、彼のコートでの実績、パラスポーツを牽引した功績を考慮すれば、むしろ遅過ぎたくらいである。

 

 パラスポーツに向けられる国民の視線は国枝の登場を境に大きく変わった。「障がいを持ちながら、よく頑張っているね。偉いよね」。彼はこう言われるのを何よりも嫌った。私の取材メモに、彼が発した印象的な言葉がいくつか残っている。日付は2009年12月22日。「僕自身、車いすに乗ってプレーしているということで、“よく偉いね”と言われるのですが、偉くも何ともない。(健常者の)皆さんが、普通にスポーツに親しむように、ただ車いすを使ったスポーツをしたかっただけ。でも最近はいちいち“別に偉くないです”と言い返すのも面倒くさくなっちゃった」。同情するヒマがあるのなら試合を観てくれ――。彼はそう続けたかったに違いない。

 

 06年7月、ウィンブルドン(ダブルス)を制した際には、テニスプレーヤーとして最高の栄誉であるチャンピオンズ・ディナーに招かれた。その時にロジャー・フェデラーからかけられた言葉は「僕の人生の中で最高の宝物」と言って顔を紅潮させた。「すごい試合だったね。興奮したよ」。それで十分だった。

 

 パラアスリートが国民栄誉賞の授与候補者に推されたのは、今回の国枝が初めてではない。00年シドニーパラリンピックで6つの金メダルを胸に飾ったパラスイマー成田真由美の名前が、大会後、一部の政治家からあがったことがある。ところが、時の政府は既に女子マラソンで金メダルを獲った高橋尚子に授与する方針を固めており、成田は見送られた。その代案として用意されたのが内閣総理大臣顕彰だった。この賞も大変な名誉であることにかわりはないが、国民栄誉賞と比べると少々、影が薄かった。

 

「五輪からひとり、パラリンピックからひとり。同時受賞でもいいじゃないですか」。官邸筋の人間にそう水を向けると「女子アスリートの受賞は初。2人よりもひとりの方が注目度が高くなる」「五輪とパラリンピックを同一視するわけにはいかない」という答えが返ってきて唖然としたことを覚えている。

 

 それから四半世紀近くがたち、パラアスリートを取り巻く状況は随分変わった。先の東京パラリンピック閉会式のテーマは「すべての違いが輝く街」だった。

 

 折も折、性的少数者や同性婚に対する首相秘書官の差別発言が世上をにぎわしている。障がい者も社会ではマイノリティと見なされている。世界的なパラアスリートへの国民栄誉賞授与は、政府が方針に定める「多様性の尊重」と「包摂的な社会の実現」を反映したものであって欲しい。

 

<この原稿は23年2月8日付『スポーツニッポン』に掲載されたものです>


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