必ずしもセオリーを守る必要はない。また、それをしっかり守ったからと言って目的を果たせる保証はどこにもない。
 しかし、大した企みもなくセオリーをいたずらに踏み外した場合、後に生じる副作用はきわめて深刻なものとなる。それは覚悟しておいたほうがいい。カープの指揮官マーティ・ブラウンが日曜日の中日戦で披露した采配は敵地のファンがどよめきをあげるほど不可解なものだった。

 2点差を追う6回表、カープは2死一、二塁という絶好のチャンスを掴んだ。次打者は先発の長谷川昌幸。ここまで2失点とまずまずの投球を見せていた。
 だがイニングと点差を考えれば、誰がどう見ても代打の場面である。中日の先発は左の小笠原孝だったが、この回から右の吉見一起がマウンドに上がっていた。
 ネクストバッターズサークルでは左の森笠繁がバットを振っていた。ベンチには2000本男の前田智徳もいる。彼は前日、今季初ホームランを放っていた。

 ところがブラウンは長谷川をそのまま打席に送った。1打席目、2打席目に続き、この打席もあえなく三振。次のイニング、長谷川は中村紀洋に2ランを浴び、万事休した。
 試合後、長谷川の続投について聞かれたブラウンはこう答えた。「ベンチが信頼しているんだというメッセージを伝えたかったんだ」。気持ちはわかる。だが、あの場面で代えたところで右腕への信頼が棄損されることはない。

 逆に問いたい。ネクストバッターズサークルにいた森笠やベンチの前田の気持ちはどうなのか。「オレたちは信用されていないのか?」。あるいは「監督は野球を分かっていない」。胸中にわだかまった思いは、この2つのうちのどちらかだろう。
 ましてブラウンは長谷川の前の8番打者には代打を送っているのだ。嶋重宣が期待に応え、チャンスを拡大した。長谷川をそのまま打席に立たせるのなら、わざわざ嶋を使った意味がない。

 そうたたみ込めばブラウンは「結果論だ」と言うかもしれない。違う。私が問題にしているのは「経過論」だ。内田順三打撃コーチは「ノーコメント」。その心中は察して余りある。ブラウンの指揮官としての腕前は柔道にたとえるなら、「茶帯(三級から一級)」程度か。名前どおりじゃシャレにもならない。

<この原稿は08年4月2日付『スポーツニッポン』に掲載されています>

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