「かなえたい夢がある」というから気にはなっていたが、まさか東京国際、大阪国際、名古屋国際の国内3大女子マラソン連続出場だったとは…。実質的に4カ月で3レース。昨年8月に手術した右ヒザが悲鳴を発することはないのか。

 北京五輪代表選考を兼ねた先の名古屋国際女子マラソン。Qちゃんこと高橋尚子は9キロ付近で失速し、惨敗を喫した。無名のランナーに次から次へと抜かれ、市民ランナーの後塵まで拝した。
 それでもスタンドを埋め尽くしたファンは彼女を見捨てなかった。長い時間をかけてゴールした彼女の背に、優勝した中村友梨香以上の声援が降り注いだのは、多くの観客が夢を共有し、彼女の精神的伴走者と化していたからだろう。「“あきらめなければ夢は叶う”というメッセージを伝えたかったが、逆に沿道の皆さんから“夢に向かって頑張れ”というパワーをもらった大会だった」とQちゃん。

 北京五輪代表の座が消えた今、何を目標に走るのか。あれこれと考えてみたが、彼女が口にした新たな夢は意外なものだった。だが思い当たるフシはある。01年秋、ベルリンで世界最高記録を出したQちゃん、実は1週間後のシカゴも走る予定だった。「そうしたらね、陸連のある幹部から空港にまで電話がかかってきたの。“何やってるんだ。Qちゃんは日本の宝なんだ。潰す気か!”って。それで、泣く泣く、諦めざるをえなくなったんだ」。そんな裏話を披露してくれたのは恩師である小出義雄氏。そして続けた。「Qちゃん、以前、僕にこう言ったよ。“私にはひとつだけ心残りがある。大きなレースの後にもう一本走りたかった。自分の体がどうなるか、実験してみたかった”ってね」
 小出氏によればQちゃんは「連戦がきくタイプ」。周囲の目には無謀と映るが、本人には勝算があるのかもしれない。

 しかし、である。夢には共有できるものとそうではないものとがある。現役アスリートとして彼女に残された時間は限られている。悔いのないチャレンジをしてもらいたいと願う反面、私的な夢の追求が、あるいは謝恩興行的なニュアンスのレース参加が、大会の品位と公共性を損なわしめるのではないかとの危惧も残る。それは彼女にとっても意図するところではあるまい。一方通行の夢に終わらなければいいが……。

<この原稿は08年3月26日付『スポーツニッポン』に掲載されています>

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