「よそ者が入ってきた時って、一番楽しいじゃないですか。変なヤツいるよって」。行き詰った社会を変えるのは「若者、バカ者、よそ者」とも言われる。

 

 キックボクシングで42戦無敗の“神童”那須川天心が4月8日、プロボクシングでのデビュー戦に臨む。対戦相手の日本バンタム級4位・与那覇勇気は12勝8KO(4敗1分け)のハードヒッターだ。天心にとって接近戦での右アッパーは要注意だろう。決して与し易い相手ではない。最初の試金石だ。

 

 さて、よそ者、変なヤツ――と聞いて思い出したのが、ムエタイから国際式ボクシングに転向後、史上最短となる3戦目で世界王座を奪取したタイのセンサク・ムアンスリンだ。私に言わせれば、この男こそは“史上最強の道場破り”である。

 

 1975年7月15日、スペインのペリコ・フェルナンデスを8回KOで破り、WBC世界スーパーライト級のベルトを手に入れたセンサクは、初防衛戦の相手に日本のライオン古山を迎える。両者は1年前にもノンタイトル戦で拳を交え、センサクが7回TKOで勝っていた。

 

 76年1月25日、東京・日大講堂。サウスポースタイルの両者は1回から激しく打ち合う。ムエタイ出身らしくセンサクはアップライトに構え、効果的なレフトのカウンターを打ち込む。驚いたことにセンサクはインターバルの間も、ずっと立ち続け、ペットボトルの水をがぶ飲みするのだ。立っている間にシャドーボクシングも披露した。無類のタフネスをアピールするかのように。

 

 試合はラウンドを重ねるごとにセンサクがペースを握り、単調な古山に付け入るスキを与えない。接近戦ではムエタイ仕込みの“首相撲”で古山の前進を阻んだ。判定は3対0でセンサク。

 

 勝利者インタビューで、ご機嫌のセンサクから衝撃的な言葉が飛び出した。「これから××××に行きます」。当時、田舎の高校生の私は伏せ字にした地名の意味が分からず、父親に訊くと、表情が強張った。それは都内の風俗街だった。

 

 翌77年4月2日、ガッツ石松の挑戦を6回KOで退けた直後にも、センサクの口から同様の発言が飛び出し、関係者を慌てさせた。今なら始末書ものだろう。誰が名付けたか“桃色の無頼漢”。好色にして好戦的なボクサーだった。

 

 センサクをムエタイ時代から知るキックボクシング関係者に聞くと、先の好色発言も含め「彼ほどテレビ関係者を困らせたボクサーはいなかった」とのこと。「控室では線香を焚き、仏に祈りを捧げる。またタイでは9が縁起のいい数字とされているため、9分、19分、29分…とかじゃないと控室を出て行かない。これには皆、参っていました」

 

 天心はこうも語っている。「ただの変なヤツにならないように、良い変なヤツになれるように」。目指すは無頼派の好漢か。

 

<この原稿は23年2月15日付『スポーツニッポン』に掲載されたものです>


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