今年はJリーグにとって節目の30周年。トヨタ自動車名誉会長の豊田章一郎氏が97歳で大往生を遂げたのは、開幕3日前の2月14日のことだった。

 

 訃報に接し、Jリーグ初代チェアマンの川淵三郎氏は、自らのツイッターに<全チームに企業名を出さないで欲しいとお願いした時トヨタのトの字も出さないと最初に言っていただいたのが章一郎さんだった>とつづった。

 

 トヨタのトの字も出さない――。地域密着を錦の御旗に掲げて船出しようとするJリーグにとって、トヨタ自動車の社長にして経団連副会長(94年から会長)の要職にあった章一郎氏のこの一言は、お墨付きを得たに等しかった。

 

 川淵氏は自著『虹を掴む』(講談社)で<トヨタが真っ先に企業名なんか出さないと言ってくれたことで、住友金属もマツダも出さないと追随してくれた>と述べている。

 

 実は90年4月、プロリーグ参加への最終意思確認を行った際、そこにトヨタの名前はなかった。「全国展開を目指す上で、大都市の名古屋にクラブがないのは致命的だ」。プロ化の構想がトップにまで上がっていないことを察知した川淵氏は協会副会長の長沼健氏をけしかける。「健さん、名古屋、いや中部地区にひとつもクラブがないのはまずい。章一郎さんに頼んでください」。長沼氏はトヨタの洋上セミナーで講師を引き受けたこともあり、章一郎氏とパイプがあった。

 

 長沼氏にはトヨタ社内に“腹心”がいた。後に名古屋グランパスエイトの初代代表に就任する西垣成美氏だ。長沼氏とは関西学院大サッカー部の先輩、後輩の関係にあった。西垣氏はクビを覚悟で章一郎氏に直訴した。「東海3県(愛知、岐阜、三重)にひとつもプロのクラブがないとなれば、この地域でサッカーをやっている子供たちの夢はどうなるのでしょう」。章一郎氏は即答した。「オマエが作ればええ。東京にも大阪にもできて、名古屋にないわけにはいかんじゃろう」

 

 ここから先の章一郎氏の行動は早かった。西垣氏は言う。「中部経済連合会主要10社、トヨタグループ10社に“出資をお願いします”と章一郎さん自ら出向き、頭を下げて回った。章一郎さんから直々にお願いされ、嫌ですとは誰も言えんでしょう」。かくしてトヨタを筆頭株主とする名古屋グランパスエイトが誕生したのである。

 

 西垣氏は続けた。「章一郎さんは欧州、とりわけ英国によく行っていた。土曜日の夕方はまちがガラガラになる。サッカーがまちの娯楽や文化として根付いていることを知っていた。だから私たちには、よくこう言いました。サッカーを宣伝目的に使うな。地域のためにやるんだ。それを忘れるなと…」

 

 章一郎氏には、次の言葉がある。<企業の寿命は30年。我々が(祖業の)織機だけをやっていたら今のトヨタグループはなかった>(日経新聞2月15日付)これまでの30年と、これからの30年。Jリーグは“2度目の創業”を迎えた。

 

<この原稿は23年2月22日付『スポーツニッポン』に掲載されたものです>


◎バックナンバーはこちらから