あれ以上の試合を望むファンがいたとしたら、それはグリード(欲張り)だろう。2022年のボクシング年間最高試合に、昨年4月9日に行われたWBA世界ミドル級スーパー王者・村田諒太対IBF同級王者ゲンナジー・ゴロフキン戦が選ばれた。

 

 試合直後、私は本紙に次のような原稿を寄せた。<ボクシングの世界の住人たちは「強い者が勝つのではなく、勝った者が強い。それがボクシング」と、しばしば口にする。その意見には賛成だが、稀に勝ち負けを超えた試合が存在する。敢えて言えば「試合そのものが勝者」――そんな一戦である。>(22年4月13 日付け)

 

 長きに渡って「パウンド・フォー・パウンド」最強の座を占めたゴロフキンをして、「ギリギリの試合展開だった」と言わしめた村田の奮闘は、確実に後世に語り継がれよう。

 

 世界の俊英たちが集うミドル級、日本人にとってはヘビー級に次ぐ難関の階級で、2度までも王座に就き、歴史的名勝負を置き土産にリングを去る――。およそ考えられる最高の引き際である。

 

 だが驚きはない。ゴロフキン戦前から村田は「負けたら間違いなく引退。勝っても続ける選択肢はない」と語っていたからだ。絶対王者への敬意と、この一戦に対する覚悟が見てとれた。

 

 ゴロフキンの態度も立派だった。敗れた村田に民族衣装の「チャパン」を、自らの手で着せようとした。聞けば、チャパンの贈呈は、カザフスタン人にとって尊敬する人物に対する最高の誠意だという。そのガウンを返すために、もう一度リングに上がる――。そんなシーンを、ほんの一瞬でも脳裡に浮かべた私もまた、グリードの謗りは免れまい。

 

 タオル投入直前のワンシーン。ゴロフキンの的確で重いブローを浴び続け、グロッキー気味の村田は、必死の形相で反撃に転じ、前へ、前へと出る。そこへゴロフキンの鉛ような右フック。その刹那、息も絶え絶えに放った村田のスイング気味のレフトは、刃こぼれした名刀のように虚しく空を斬った。全てが終わった瞬間だった。それでも、あの左フックの残像に勝る“名画”を私は他に知らない。

 

 試合後、傷だらけの村田は「2人とも無事にリングから降りられた。神様に感謝している」と語った。倒れはしたが、自らの足でリングを降り、会見の席に着いた。その言葉には自負と誇りがにじんでいた。

 

 矢弾どころではない。互いに手にしたハンマーを振り回し合うのがミドル級という名の戦場である。そこでの世界戦7試合。デビューからゴロフキン戦までの9年間。私たちはチャパン以上の感動と興奮を村田にもらった。ありがとう、そしてお疲れさま。偉大なる永遠のチャンプ――。


<この原稿は23年2月23日付『スポーツニッポン』に掲載されたものです>


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