都市対抗野球には独特の制度がある。各地区予選で敗退したチームから選手をレンタルできる補強選手制度だ。最大で5人まで借り受けることができる。この制度が存在することでチームは地域色を帯びる。文字どおり「都市の代表」となるわけだ。同一チーム同士の対戦では単なる「企業対抗野球」になってしまう。

 上位進出を狙う上で補強選手の活躍は欠かせない。昨年、東北勢として初の黒獅子旗を獲得したにかほ市(TDK)もそうだった。助っ人たちのこんなドラマをご存知か。

 2回戦の名古屋市(JR東海)戦でサヨナラヒット、決勝の横須賀市(日産自動車)戦では逆転となるホームへのスライディングと3番打者として優勝に貢献した高橋利信には「意地でもJR東日本東北より早く帰れない」理由があった。

 彼は生まれも育ちも仙台。地元の七十七銀行では入社時から4番を任され、準決勝に進出した04年の都市対抗では首位打者に輝いた。ところが、同じ仙台市を本拠とするJR東日本東北から補強選手としてお呼びがかかることはなかった。

「JRはウチのチームから4人もとったのに僕は選ばれない。それよりも悔しかったのはJRの決起集会でJRの偉い人が“オール仙台で臨みます”と言ったこと。そこまで言うのに僕はいらないのか」。意地の対価が高校、大学、社会人を通じて初の日本一。高橋に見向きもしなかったJR東日本東北は2回戦で敗退した。

 5番打者として無類の勝負強さを発揮した高倉啓司(岩手21赤べこ野球軍団−現TDK)。彼の“助っ人魂”に火をつけたのはTDK側の小さな誠意だった。「実はTDKの選手たちは普通のシングルルームなんです。エグゼクティブルームは補強選手だけ。こんないい待遇を受けているのにチームに貢献できないのは情けない…」。5タコに終わった準決勝の夜、部屋の窓を全開にして高倉は一心不乱にバットを振り続けた。その甲斐あって決勝では貴重な同点タイムリー。「補強選手はいろいろと気を使うだろうから、そのあたりのことも頼む」。大会前、監督の船木千代美はマネジャーにそっと耳打ちした。これが効いたのである。

 若人の祭典である夏の甲子園もいいが、分別盛りの勤め人たちが参集する東京ドームにも種々の人間模様がある。

<この原稿は07年7月25日付『スポーツニッポン』に掲載されています>

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