7月14日、アトランティックシティに1万人近い観衆を集めて行なわれた再起戦で、アーツロ・ガッティは痛烈なKO負けを喫した。
 これで2試合連続、ここ4試合でも3度目のKO負け。ドラマチックなファイトでアメリカのボクシングファンを楽しませ続けてくれたガッティだが、すでに多くのものを失ってしまったと見るべきか。
 動きにキレがなくなった。心は折れなくても足が動かなくなった。自慢だったパンチ力と馬力も減退したように見える。もう、潮時である。
「次はファンの1人としてこの場所に戻って来たい」
試合直後、ガッティはそう声明を発表。あしかけ16年のボクシングキャリアの終焉、現役引退を表明した。
(写真:最後の試合となったアルフォンソ・ゴメス戦前、カメラマンにポーズをとるガッティ<左>)
 元世界ライト級、Jウエルター級チャンピオン。通算40勝(31KO)9敗。
 しかしガッティは、そんな戦歴や戦績以上に、現代最高の「激闘王」として知られたボクサーだった。繰り広げた乱打戦、大逆転劇は数知れず。人呼んで「生きるハイライトフィルム」。
(写真:試合前後の記者会見ではいつでも素のままのコメントを残してくれた)

 1996年には、強敵ガブリエル・ルエラスの強烈なパンチを17連発で浴びて意識朦朧としながら、たった一発の左フックで大逆転KO勝利を飾った。翌年にはしぶといアイバン・ロビンソンと壮絶な打ち合いを演じ、2年連続での「年間最高試合賞」を受賞した。
 そして2002〜03年には、宿敵ミッキー・ウォードとの3度に渡る死闘で全米を驚嘆させた。「ボクシング史上最高の打撃戦」と呼ばれた第1戦を皮切りに、どれも異常なまでの打ち合いとなったこの3戦シリーズ。ここで、ガッティは現役屈指の人気と尊敬と勝ち得るようになったのだ。

 一方で、9敗という戦績あ示すように、ガッティは完璧なボクサーだったわけでは決してなかった。キャリア前半はディフェンスが甘く、必要以上に被弾することが出世(少なくともタイトル獲得、防衛という意味では)を妨げた。守備にも力を入れて以降も、攻防分離傾向は最後まで解消できなかった。少なくとも技術面で高い評価を受けたことはこれでも一度もない。
 だがそれでも、カジュアルなファンからマニアの域に達した人まで、このボクサーが好きではないというボクシングファンにはアメリカでは出会ったことがない。それがなぜかと言えば、リングの中でも外でも、ガッティは常に自分に対する正直な姿勢を保ち続けたからだったのだろう。

(写真:いつでも精一杯に戦ったガッティ(左)を忘れることはない)
 近年のボクシング界は、バーナード・ホプキンス、ウィンキー・ライト、オスカー・デラホーヤ、そしてフロイド・メイウェザーまで、クレバーな点取り屋ボクサーたちに牛耳られていた。彼らの試合はスキルフルではあったが、見ている者にカタルシスを感じさせることはほとんどなかった。まるでビジネスマンがリングの上で計算しながら戦っているかのようだった。
 しかしそんな現代ボクシング界で、ガッティはほとんど唯一と言える異色の存在だった。打たれても打たれても立ち上がり、何度でもファイティングポーズをとり続けた。勝っても負けても、試合後には笑顔で相手選手を讃えた。そうやって、数々の激闘と感動を生み出してくれた。
 また、試合前の記者会見で長年のガールフレンドとの破局を公言し、涙ぐんでしまったことがあった。KOで敗れたあと、「プライベートが影響した」と言い訳したこともあった。私生活を仕事に持ち込んだこれらのエピソードは、プロとしては失格と言えたのかもしれない。
 だが少なくとも、リングの中でも外でも、ガッティはいつでも自分らしさを保ち続けた。自分に正直だった。そんな姿からは、清々しさだけが残った。
その動向が間近で体感できるガッティの地元アメリカ東海岸では、特に彼の人気と存在感は莫大だった。常にアリーナを満員にし、ファンを誰より喜ばせ続けた。そういった意味で、ガッティは最高のプロボクサーだったのだ。

(写真:ガッティに引導を渡した形のゴメスも、実はずっとガッティの大ファンだったのだという)
格下へのKO負けのあとを受けて、背水の陣で臨んだ14日の試合―――。
 そこでまたも痛烈なKO負けを喫し、引退声明。そのニュースを聞いて、安堵感を感じた人も多かったことだろう。もうガッティが傷つくのを見ないで済む。
 現在はESPNのコラムニストを務めるベテラン記者、ダン・ラファエル氏は、その試合後、こう書き記している。
「ガッティが引退を決めてくれて嬉しい。彼は私がボクシング記者を始める以前からの、人生最大のフェイバリット・ボクサーだった。私の飼い猫の1匹をサンダー(ガッティの愛称)と名付けたくらいだ。彼と知り合えたことは名誉だし、その素晴らしいファイトの数々を取材できて幸福だった。彼の今後の人生の幸福も心から祈りたい」
 オスカー・デラホーヤはそのうちまた現れるだろうが、アーツロ・ガッティはもう二度と現れないかもしれない。唯一無二の男だった。
 アメリカ東海岸で同世代を共にしたボクシングファンは、ガッティのファイトを決して忘れることはない。


杉浦 大介(すぎうら だいすけ)プロフィール
1975年生、東京都出身。大学卒業と同時に渡米し、フリーライターに。体当たりの取材と「優しくわかりやすい文章」がモットー。現在はニューヨーク在住で、MLB、NBA、ボクシング等を題材に執筆活動中。

※杉浦大介オフィシャルサイト Nowhere, now here
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