サッカー日本代表チームを率いる元甲子園球児がいると聞き、会いにいった。名刺を差し出すと、少しだけ斜めを向いた。左目の視力がないため、距離感が掴みにくいのだという。

 

 彼の名前は山本夏幹。31歳。昨年11月、インドのコチで開催されたIBSAブラインドサッカーアジア・オセアニア選手権でブラサカ日本女子代表を優勝に導き、今年8月、イギリス・バーミンガムで開催される第1回IBSAブラインドサッカー女子世界選手権への出場権を獲得した。開幕まで4カ月を切り、チームのスキルアップに余念がない。

 

 その山本が八千代東高の「5番・一塁手」として甲子園に出場したのは2009年の夏だ。強豪ひしめく千葉県にあって、スポーツ推薦のないノーシードの県立が予選を突破したのは異例だった。

 

 初戦の相手は、59年夏に全国制覇を達成している愛媛・西条高。エースは後に阪神に進む秋山拓巳。初出場の八千代東高は秋山の高校生離れした重いストレートに手を焼きながらも、3安打で2点を奪い、食い下がった。山本は秋山の前にノーヒット。「こういう選手がプロに行くんだなァ」。漠然とそう思った。試合は2対3で敗れたものの、八千代東高は甲子園に清々しい印象を残した。

 

 卒業後、順天堂大に進んだのは教員になるためだった。野球部(東都3部)に入り、高校野球の監督を目指した。千葉県印西市のグラウンドで、来る日も来る日も白球を追いかけた。白球の向こうに夢が広がっていた。

 

 ある秋の日の夜間練習、1年生の山本はいつものようにバッティング投手を務めていた。防護ネットがガシャンと音を立てた瞬間、左目に激痛が走った。不運にもフレームに当たった打球が左目を直撃したのだ。

 

 マネジャーが救急車を呼び、浦安にある順天堂大附属病院に急行した。翌朝、鏡で自らの顔を見て驚いた。左目の付近が岩のように腫れ上がっていた。入院は1カ月にも及んだ。「もう二度と(視力が)元に戻ることはない」。医師の宣告を山本は静かに受け入れた。プレーヤーとしての道が閉ざされた瞬間だった。

 

 大学院に進んだ山本は障がい者スポーツの研究に打ち込んだ。修士論文のタイトルは「視覚に障害のある児童・生徒の運動経験に関する検討」。15年に筑波大学附属視覚特別支援学校に赴任し、翌年、13歳から26歳までを対象に「フリーバード目白台」というブラサカのクラブを立ち上げた。「視覚障がいを持つ青少年には、皆で集まってサッカーをやる環境がなかった。勝って喜び、負けて悔しがる。僕が部活で体験したことを味わわせてやりたかった」。ユースのコーチも経験した。こうした地道な活動が認められ、昨年1月、ブラサカ女子日本代表監督に就任した。そして世界選手権出場へ。「本当に人生は何が起こるかわかりませんね」。この夏、バーミンガムから吉報は届くのか……。

 

<この原稿は23年4月19日付『スポーツニッポン』に掲載されたものです>


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