山がポツン、ポツンとある程度なら「山地」だが、高峰が連なっていれば「山脈」である。

 

 誰が名付けたか知らないが「オリックス山脈」は言い得て妙だ。

 

 オリックスのエースと言えばWBCでも活躍した山本由伸。彼を中心にしたローテーションには山﨑福也、山岡泰輔と「山」の付く選手が多い。今季からは3年前のドラフト1位・山下舜平大がローテーションの一角に加わり、早くも2勝をあげている。ブルペンには侍ジャパン入りした山﨑颯一郎もいる。

 

 それを受け、オリックスファンの間では「山脈ローテーション」「山脈リレー」という造語が飛びかっている。この造語は相手打線の前に立ちふさがり、はね付けるイメージを存分に想起させる。

 

 オリックスの前身・阪急にも高く、険しい「山脈」が存在した。1975年、阪急は6度目の日本シリーズ挑戦で、初の日本一となる。広島相手に4勝2分け。MVPは6戦のうち5戦(先発1、リリーフ4)に登板し、1勝2セーブをマークしたルーキーの山口高志。最優秀投手賞には先発で2勝をあげた山田久志が選ばれた。

 

 勝負の分水嶺は阪急の2勝2分けで迎えた敵地での第5戦だった。スコアは阪急の2対1。9回無死一、二塁となったところで上田利治監督は好投の山田に代え、山口に3連投を命じた。今なら「山脈リレー」である。

 

 山口は第3戦=先発で9回完投、第4戦=リリーフで7回、そして第5戦=リリーフで1回。酷使にも程がある起用だが、こうでもしなければ、最高峰を極められない、との思いが指揮官にはあったのだろう。期待に応えた山口は苦もなく接戦に幕を引き、王手をかけた。そして第6戦では胴上げ投手の栄誉に浴したのである。

 

 酷使ゆえか、それとも人生観ゆえか。大学(関大)、社会人(松下電器)を経由してプロ入りした時点で既に24歳。山口のプロ野球生活は、わずか8年で終わった。太く短く、そして記録よりも記憶に残るピッチャーだった。

 

 その山口の最後のシーズンが82年。故障もあり、往年の豪速球はすっかり影を潜めていた。その年、ドラフト1位で専大から入団したのが長身の山沖之彦である。87年には19勝で最多勝に輝いた本格派だが、入団からしばらくは先発、抑えの両面で活躍し、先発の山田からバトンを受け取ることもしばしばだった。サブマリンの山田から身長190センチ超の山沖へ。名前の字面は山から山へ、だが、ボールの出所は、それこそ谷から頂へ。バッターは随分、戸惑ったに違いない。

 

 少々、気の早い話で恐縮だが、今オフのドラフト、オリックスにお勧めの選手がいる。NTT東日本の151キロ右腕・片山楽生、高校生なら横浜高の左腕・杉山遙希、三重・高田高の右腕・中山勝暁…。阪急由来の“山脈神話”を、ぜひ後代につなげていってもらいたい。

 

<この原稿は23年4月26日付『スポーツニッポン』に掲載されたものです>


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