美術家の赤瀬川原平さんは「肯定の達人」だった。たとえばベストセラーとなった「老人力」(筑摩書房)。高齢化社会をにらみ、世間はこぞって「老いてますます盛ん」「まだまだ若い者には負けんよ」的な意味合いでこの造語を使用したが、赤瀬川さんに言わせると「大きな間違い」。耄碌しただの、ボケただの、と陰口を叩かれた時、いきりたって反駁するのは若くて未熟な証拠。泰然自若と受け流し、物忘れが激しくなると、日々の鬱憤から解放されていいぞ、それによって新しい自由の境地に達することができるぞ、と前向きに老化をとらえようとするその心持ちこそが「老人力」の真骨頂だというのである。「アイツも、かなり老人力がついてきたな」。畢竟、人生とは、いかに上手に枯れるか、なのだ。

 

 その赤瀬川さんには「超芸術トマソン」という造語もある。由来は81年と82年の2年間、巨人に在籍したゲーリー・トマソン。左の大砲として期待されたが三振が多く“トマ損”などと揶揄された。

 

 このトマソンを赤瀬川さんは芸術上の概念として、肯定的にとらえ直した。たとえばビルの増改築により、必要性を失った階段。都市開発で出口だけが残るトンネル。こうした一切実用性を伴わない、ただ鑑賞するだけの“無用の長物”こそが芸術を超えた芸術、すなわち「超芸術」だと赤瀬川さんは主張した。そして、その象徴的存在にトマソンを祭り上げたのである。

 

 現在、トマソンを彷彿とさせるのが広島の新外国人マット・デビッドソンだ。打率こそ2割1分7厘ながら、リーグトップの4本塁打(10日現在)。まるで不確実性がユニホームを着て歩いているような打者だ。5安打のうち4本が本塁打。短打は1本もない(同)。

 

 10日付けの本紙の見出しは“ざぶとん一枚”ものだった。<右のランス>。かつて広島には「左のデビッドソン」がいた。それがランス(本名リチャード・ランセロッティ)である。このプルヒッターが打席に向かうと、ファンは一斉に「ランスにゴン」と声を張り上げた。

 

 ご記憶の向きも多かろう。「金鳥」で知られる大日本除虫菊がタンス用防虫剤「ゴン」を発売し始めたのが1983年。そのCMが大ヒットした。「タンスにゴン」。4年後の87年に来日したランスは、いきなりホームラン王を獲得したが、同時に“三振王”にも。バットの芯に当たる確率は、およそ家の中でタンスの角に頭をぶつける程度。首脳陣の「コンパクトなスイングを心がけろ。バットに当たりさえすればフェンスを越えるんだから」というアドバイスにも耳を貸さず、結局、88年途中でクビになった。

 

 そういえばトマソンも3年契約ながら、2年で契約を解除されている。どうやら球界における「超芸術」の鑑賞期間は限られているらしい。ホームランか三振か。そのまま吉凶占いにでも使えそうな“赤ヘルの怪人”のバッティングを今見ておいて損はない。

 

<この原稿は23年4月12日付『スポーツニッポン』に掲載されたものです>


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