この15日に満30歳を迎えるJリーグ。10クラブでスタートし、現在はJ1、J2、J3合わせて60クラブの大所帯に発展した。

 

 30年たっても色褪せることのないスローガンがある。「Jリーグ百年構想 ~スポーツで、もっと、幸せな国へ。」。初代チェアマンの川淵三郎は、リーグ創設にかける思いを、このスローガンに込めた。

 

 スポーツ強国、スポーツ立国、スポーツ大国。官主導のこの手の標語が、直接的であれ間接的であれ国威発揚を目的にしているのに対し、先のスローガンには、人々の日常に向けられた温かい眼差しが感じられる。現在、Jリーグが力を入れている「シャレン!」(社会連携)も、その文脈の中に位置付けるべきだろう。

 

 これまでの30年と、これからの30年。社会の公器として、ますます存在感を高めつつあるJリーグは、どこへ向かうのか。

 

 未来を語るには過去を知る必要がある。川淵の証言を手がかりに「百年構想」の、その先を見詰めたい。

 

 そもそもJリーグは「株式会社」としてスタートする予定だった。川淵が公益法人としての認可を嫌ったのは「行政から要求されたり締め付けられたりすることへの拒絶反応が強かった」からだ。「株式会社なら文句ないだろうってね(笑)」。しかしスポーツ行政を司る文科省にも面子があった。「社団法人なら株式会社に近く、あまり制約も受けない」と川淵に説明し、了承を取り付ける。

 

 Jリーグやチェアマンという名称にも当初、文科省は難色を示した。「過去にリーグという名称の前例がないのでプロサッカー連盟かプロサッカー協会にしてくれと。いかにも役所的だなと。僕のイメージはジャパンリーグ。広告代理店から“Jリーグでは?”と提案があった時、即行で決めた。チェアマンについても(行政側から)社団法人のトップは理事長だと。一応、定款には理事長と書いたけど、僕は今まで一度も理事長と名乗ったことがない」

 

 他にもホームタウン、サポーター、ピッチ……。横文字のセンスが光った。これがJリーグに先進的かつ国際的なイメージを付与した。「実はね、英語の名称を使うにあたっては当時のロレックス日本法人の(クリストファー・W・)マクドナルド社長に“和製英語はダメだ。国際的に通用するかチェックしてほしい”とお願いした。たとえばイングランドではピッチ。グラウンドとは言わない。そこは徹底してこだわった」

 

 百年構想の百年は、時間の単位ではない。百年たっても改革の歩みを止めない運動体だとの願いを込めた。「地域の中で誰もがスポーツをエンジョイし、助け合い、希薄になった人間関係を結び直す。僕が30年前の開幕でスピーチした“大きな夢の実現”とは、そういうこと。そして、それは日本代表がW杯で優勝するより、もっと大きな意味のあることだと思っている」。86歳。火山にたとえるなら川淵は今なお活火山だ。運動体としてのJリーグを体現し続けている。

 

<この原稿は23年5月10日付『スポーツニッポン』に掲載されたものです>


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