NPO法人日本聴覚障がい者ラグビーフットボール連盟は、<聴覚に障がいを持つ人(デフ)たちがラグビーを通して、聞こえないことへの理解を社会に広める>ことを目的に体験会などを実施している。今回は同連盟の矢部均理事に加え、デフラグビー現役日本代表の岸野楓主将、小林建太副将に競技にかける想いを訊いた。

 

伊藤数子: 今回はデフラグビー日本代表の岸野楓選手、小林建太選手と矢部均理事をお招きしました。矢部理事には手話通訳としてもご協力いただきます。それではよろしくお願いします。

岸野楓小林建太矢部均: どうぞよろしくお願いします。

 

二宮清純: 4月に日本はアルゼンチンで行われた第2回7人制デフラグビー世界大会に出場し、7位でした。残念ながら前回大会(2018年にオーストラリアで開催)の4位を上回ることはできませんでした。

岸野: そうですね。今大会は前回以上に選手のコンディション調整に苦労しました。移動時間が30時間もあり、一泊後さらに飛行機で移動しました。また主将として、チームとうまくコミュニケーションが取り切れなかったことが、今回の結果につながってしまったかな、と反省しています。

 

二宮: 優勝したのは2大会連続でウェールズでした。第2回大会の出場チームは、日本、ウェールズ、アルゼンチンのほかイングランド、オーストラリア、フィジー、南アフリカ、バーバリアンズ(香港、ブラジル、アルゼンチン、ウェールズなどの混成チーム)。やはりラグビーが強い国・地域が結果を出しているんですね。

小林: おっしゃる通りです。特に大会1日目に対戦したウェールズは、スタンドからの応援のパワーを感じましたね。お祭り騒ぎのように盛り上がっていました。

 

二宮: 日本のサポーターは?

小林: やはりウェールズなどの強豪と比べると少なかったですね。大会があったことを知らない人も多かったと思います。

 

伊藤: デフリンピックが2025年に東京で開催されることが決まりましたが、デフラグビーは正式競技として採用されていません。

矢部: ひとつ理由として挙げられるのが、聴覚の参加基準の違いです。デフリンピックの参加基準は聴力レベルが55デシベル以上(数字が大きいほど障がいが重い)とされています。一方、デフラグビーは、今回の第2回7人制デフラグビー世界大会を例にとると、聴力規定は40デシベル以上と中度難聴レベル。大きな声を出せば聞こえる程度と言われています。この15デシベルの差を埋めて、出場資格を狭めてしまうと、デフラグビーの競技レベルが下がるのではないか。一部の国や地域がそれを恐れていると聞きます。

 

 地道にコツコツと

 

二宮: ちなみに岸野選手と小林選手の聴覚は?

岸野: 120デシベルです。

 

小林: 私は90デシベルです。私たちからすれば、少し不公平感があるのも事実です。ただ資格を厳しくすればデフラグビー人口は減るでしょう。逆に言えば、障がいの軽い人と一緒にできるという点では、多様性のあるスポーツなのですが……。

岸野: 日本はチーム内のコミュニケーションを手話で統一しています。これはチームの誰ともコミュニケーションを取れるようにすることを大切にしているためです。一方で海外の選手は口話だけでコミュニケーションが取れていました。それくらい障がいの軽い選手が多かったということでもあり、私たちが不利に感じた面もありましたね。

 

二宮: 他の競技のように障がいの程度によって、クラス分けするわけでもないんですね。

矢部: そうなんです。デフラグビーの国際会議に参加した際、日本側からは「聴力に合わせた点数制にしてはどうか」と提案しました。車いすバスケットボールや車いすラグビーのように、障がいの程度を点数制にし、1度にフィールドに出られるのは合計何点までというレギュレーションのことです。ただ、その案はチーム力の低下や参加者減を理由に反対されました。日本としては聴覚障がいの重い選手がデフラグビーに参加しているので、そのレギュレーションの方が公平性は担保されると感じるのですが、なかなか理解を得られないのが実状です。

 

二宮: 現在の日本の競技人口は?

岸野: 競技者登録をしているのは約 30人です。残念ながら、減りつつあるのが現状です。

 

小林: 潜在的には、もっとたくさんの方がいると思います。日本は障がいに対し、ネガティブなイメージを持つ方もいます。例えば片耳が聞こえなくても、もう片方の耳に聴覚があれば、「私はデフラグビーに行かない」という人もいる。私も元々はそうでした。高校、大学とラグビー部に所属していたので、デフラグビーに転向することに抵抗があったのも事実です。ただ自分がデフラグビーに挑戦することで、障がいのある子どもたちが希望を持つきっかけになればいいと考えるようになり、今は誇りを持って活動しています。

岸野: 競技人口を増やすために、私はまずラグビーの楽しさを知ってもらうことが大事だと考えています。例えば、入り口はタッチラグビー(タックルの代わりに背中をタッチする)やタグラグビー(タックルの代わりに腰に付けた紐を取る)などでもいいと思うんです。体験会を実施したり、メディアに出たりする機会があれば積極的に参加する。今は地道にコツコツやっていこうと考えています。

 

(後編につづく)

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岸野楓(きしの・かえで)プロフィール>

富士通株式会社所属。1998年5月5日、岐阜県生まれ。8歳でラグビーを始める。ポジションはフランカー。高校は岐阜聾学校に通い、岐阜合同チームの一員として県大会、東海大会などに出場。高校2年時からU-18合同チーム東西対抗戦に2年連続出場。高校卒業後、早稲田大学ラグビー蹴球部では公式戦の出場こそなかったものの、最終学年時に大学日本一を経験した。東京学芸大学大学院を経て、富士通に入社。デフラグビー日本代表として7人制デフラグビー世界大会に第1回から2大会連続出場中。今年4月の第2回大会では主将を務めた。

 

小林建太(こばやし・けんた)プロフィール>

キヤノンマーケティングジャパン株式会社所属。2000年3月22日、大阪府出身。幼稚園年中からラグビーを始める。ポジションはセンター。近畿大学付属校ラグビー部に所属し、レギュラーとして活躍した。近畿大学進学後も3年時にはAチーム入り。キヤノンマーケティングジャパン入社後、デフラグビーを始め、ポジションはスクラムハーフに転向した。日本代表としては、今年4月、第2回7人制デフラグビー世界大会に初出場した。

 

矢部均(やべ・ひとし)プロフィール>

NPO法人日本聴覚障がい者ラグビーフットボール連盟理事。1963年3月18日、埼玉県出身。10歳でラグビーを始める。ポジションは主にスクラムハーフ。大東文化大学第一高校では全国高校ラグビー大会に出場した。2002年第1回デフラグビー世界大会にデフラグビー日本代表コーチとして参加。2011年、デフラグビー・オーストラリア代表が来日した際、対戦した日本選抜の監督を務めた。「日本聴覚障害者ラグビーを考える会」の設立(1995年9月)当初より携わり、1998年4月の「日本聴覚障害者ラグビークラブ」(JDRC)設立にあたり、唯一の聴者スタッフとなり、各委員会の委員長を歴任。JDRCが2016年3月に法人格を取得し、NPO法人日本聴覚障がい者ラグビーフットボール連盟に改名後は理事として組織の運営に携わっている。約25年前に手話を習得し、取材やイベントなどで手話通訳も務める。

 

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