(写真:3大会連続の世界選手権出場を決めた櫻井<右>)

 1日、レスリングの世界選手権大会(9月、セルビア・ベオグラード)日本代表選考プレーオフ・オリンピック階級7種目が東京・ドーム立川立飛で行われた。女子57kg級は昨年の世界選手権を制した櫻井つぐみ(育英大)が南條早映(東新住建)を下した。男子グレコローマン67kg級は曽我部京太郎(日本体育大)が遠藤功章(東和エンジニアリング)を破った。3人に加え、東京オリンピック男子グレコローマン60kg級銀メダリストの文田健一郎(ミキハウス)、同77kg級の日下尚(三恵海運)、同87kg級の角雅人(自衛隊)、女子68kg級の石井亜海(育英大)、同76kg級の鏡優翔(東洋大)が世界選手権代表に内定した。

 

 7人の戦士たちはパリへの道を繋いだ。9月の世界選手権で5位以内に入れば、パリオリンピックの出場枠を獲得。さらに表彰台に上がれば、その代表に内定する。このプレーオフで勝てば世界選手権代表に内定。負ければ自力でのオリンピック行きは遠のく。

 

(写真:「相手より先に構える自分のスタイル」と試合が切れても、すぐに構えて再開を待った)

「自分の強さは最後の1秒まで取りに行くこと。それを今回も出せたことは良かったと思います」

 そう試合を振り返った櫻井は世界選手権3大会連続(21年のノルウェー・オスロ大会は55kg級に出場)出場を決めた。6月の明治杯全日本選抜選手権決勝に続く劇的勝利だ。全日本選抜は2-2のスコア、残り1秒でポイントを取り、5-2で競り勝った。

 

 この日のプレーオフは2週間前の決勝と同じ南條が相手だ。昨年12月の天皇杯全日本選手権準決勝では4-5で敗れている。第1ピリオド1分過ぎ、櫻井は南條にタックルで片足を取られ、先制点を奪われた。追いかける展開となったが、ハーフタイムまでは南條のディフェンスを崩せない。

 

(写真:ビデオ判定を待つ2人。力を出し切った様子に6分間の死闘の跡が見える)

 残り3分。低い姿勢から腕を取って自らが優位なポジションに手繰り寄せようとするが、南條もそう簡単にはチャンスをくれない。時計の針は進むばかりだった。残り数秒でがぶり返しを繰り出し、逆転を狙った。しかし得点がコールされぬまま試合終了のブザーは鳴った。スコアボードは0-2。ここで櫻井陣営の育英大・柳川美麿監督がキューブ状のスポンジをマットに投げ入れた。ビデオ判定を要求するチャレンジだ。

 

 審判団によるビデオチェックの末、南條の身体が90度以上回転していることを確認された。これで櫻井に2ポイント。2-2の同点だが、ラストポイントにより櫻井の逆転勝利が決まった。

「一瞬、ダメかな思った時もあったけど、オリンピックに行きたいという気持ちが最後は出せたと思います」

 

 世界選手権は初出場の21年大会で55kg級金、現階級に階級を上げた22年大会(セルビア・ベオグラード)でも金メダルを獲得した。「絶対に勝ってオリンピックの出場権を取りたい」。東欧でのパリ行きの切符獲得を誓った。

 

 土壇場で逆転劇を演じた櫻井に対し、男子グレコローマン67㎏級の曽我部はそれを許さなかった。

 

 プレーオフで対戦したのは5学年上の先輩・遠藤。日本レスリング協会の公式サイトによれば、この試合までの対戦成績は2勝5敗と負け越している。6月の全日本選抜選手権決勝では3-3の同点ながらラストポイントで敗れた。身長で8cmも違う(曽我部169cm、遠藤177cm)。遠藤は日体大出身で現在も練習拠点を同大に置く。いわば互いに手の内を知り尽くした相手である。

 

 明暗を分けたのが、腹這いとなるパーテレでの攻防だった。「前半で自分がグラウンド(の攻撃)を取るという気持ちで前に出続けた」と曽我部。先にパッシブ(消極的姿勢)を取られたのは遠藤で、曽我部が1点先取した。さらにパーテレの状態から攻撃。一度は投げをかわされたが、場外際でローリングし、2点を加えた。

 

(写真:遠藤<赤>が繰り出す技を必死に耐える曽我部)

 しかし第2ピリオドは曽我部がパッシブを取られ、3-1に。何度も曽我部を返そうとする遠藤に対し、マットに手を吸い付かせるように耐え凌ぐ。最後はリフトからの投げを食ったが、先に曽我部の右足が場外に出ており、場外ポイントの1点で抑えることができた。

 

 その後の遠藤陣営のチャレンジが失敗に終わり、4-2とリードで残り1分43秒。「最後は気持ちの部分」と曽我部。このままのスコアでベオグラード行きの切符を手にした。

「自分が絶対に世界選手権に出て、パリオリンピックの権利を獲得するという強い気持ちでこの試合を迎えました。遠くからこの試合のために応援に来てくれた人もいて、すごく力になりました。世界選手権では金メダルを取って、オリンピックの出場枠を取りたい」

 

 愛媛県出身の曽我部。この日も地元から家族などが応援に来ていた。

「レスリングでは監督(松本慎吾監督)以来、愛媛出身のオリンピック出場者が出ていないので、自分が次いで出られるように頑張りたいです」

 

(文・写真/杉浦泰介)