日曜日の夜、たまたま情報番組を見ていたら、コメンテーターの木村太郎が「今回のヒーローは川淵三郎さんだと思う。10年前のバスケ界は分裂していて国際試合どころではなかった」と語っていた。バスケットボール男子日本代表のパリ五輪出場決定を受けてのものだ。

 

 木村の指摘どおりである。2005年から12年間、国内にはNBLとbjリーグという2つの男子トップリーグが存在した。FIBAは、この並立状態を問題視し、13年12月、JBAに対し、①協会のガバナンスの確立、②日本代表チームの強化、③2リーグの統合を求めた。回答期限は14年10月。もし満足な回答を得られなかった場合、FIBAはJBAを資格停止処分にする方針を示した。

 

 にもかかわらず、JBAはリーグの統合に道筋をつけることができず、10月には職責を果たすことなく深津泰彦会長が辞任。ついに11月26日、FIBAから無期限資格停止の裁定が下った。

 

 川淵が男子日本代表元ヘッドコーチの小浜元孝から「このままではFIBAから追放される。川淵さんしかいないから助けて欲しい」と懇願されたのは14年4月。それ以降、二十数回の会議を重ね、新トップリーグ組織委員会も設けたが、両者の溝は埋らなかった。JBAのガバナンスの機能不全は目を覆うばかりだった。

 

 15年1月、FIBA事務総長パトリック・バウマンからの依頼で、JBAを改革するためのタスクフォースのチェアマンに就任した川淵は、3月の会議で幹部を前に、「あなた方には、選手のために尽くそうという気持ちすらない。こんな体たらくで制裁解除ができると思っているのか?」と一喝した。

 

 制裁が解除されなければ、8月にスタートするリオ五輪予選を兼ねたアジア選手権に女子選手たちが出場できなくなる。川淵には女子選手のことなど全く頭になく、自らのリーグや出身校の利益代表と化した幹部たちの内向きで、利己的な振る舞いが許せなかった。

 

 振り返って川淵は語る。「あの“体たらく”って言葉は、今まで使ったことがなかったんだ。その時、咄嗟に出てきたから、自分でも驚いた。でも今にして思えば、一番適切な言葉だったな(笑)」

 

 Jリーグの生みの親であり、サッカー協会会長として辣腕を振るった川淵に対し、JBAの古参幹部の中には「バスケットを乗っ取るつもりか」「(バスケの)素人が口出しするな」と陰口を叩く者もいた。「こんなケチな協会を乗っ取ろうとする者がいるか! それよりも、こんな悲惨な状況になるまで放置していた責任をあなた方はどう考えているんだ」

 

 この時、川淵三郎78歳。枯れることのない使命感、あるべき姿を俯瞰する大局観、妥協を許さぬ責任感、そして止むに止まれぬ義憤。「これからは大好きなゴルフざんまいだと思っていたのに……」。苦笑い交じりの一言が忘れられない。

 

<この原稿は23年9月6日付『スポーツニッポン』に掲載されたものです>


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