青梅線西立川駅から徒歩5分、住宅街を抜けたところに、アパートの2階を改装した15坪ほどの小さなボクシングジムがある。

 

 このジムには普通のジムにはない特徴がある。近付くと、リンリンという鈴の音が聞こえてくるのだ。視覚障がい者のために創案された「ブラインドボクシング」を体験することのできる全国で唯一のジムなのだ。

 

 ジムの会長は、現役時代“竜の爪”というニックネームで人気を博した元日本ランカーの村松竜二。なぜ“竜の爪”と呼ばれたほどのファイターが、ブラインドボクシングの普及に取り組むのか。それは彼の壮絶な半生と無縁ではない。

 

 村松がボクサーの命とも言える左手に深手を負ったのは1994年5月16日、20歳の時だ。18歳でデビューし、ライトフライ級で5勝1敗。「オレは無敵だとさえ思っていた」。好事魔多し。昭島市内のジムからの帰り、国道でトレーラーに幅寄せされた。腕っぷしには自信がある。「来るなら来てみろ」。背負っていたリュックを引っかけられ、路上に激しく叩きつけられた。気が付くと左手が血まみれになっていた。「手を地面に叩きつけられた時、左手にはめていた腕時計が刺さってしまった」。割れた時計は、事故の時刻で止まっていた。なお、本件はひき逃げ事件でありながら、運転手は未だに捕まっていない。

 

 診断の結果は「左手関節機能全廃」。これほどむごたらしい傷病名は、聞いたことがない。要するに左手はもう使えません、ということだ。3回も手術を受けたが結局、手首が内側に曲がるまでには回復しなかった。

 

 普通なら引退である。しかし、彼はライセンスを返上しなかった。「最低でも日本チャンピオンになってベルトを腰に巻く。その目標をかなえるまでは、諦めるに諦められなかった」。1年後にカムバックし、日本ライトフライ級1位にまで上りつめた。後に世界王者となる戸高秀樹ともグローブを交え、一進一退の攻防を繰り広げた。

 

 ケガのことは身内以外、誰にも明かさなかった。機能全廃の左手は、ブロックに使っただけで「泣きそうになるほどの痛み」に襲われた。その頃、“パラリンピックの父”と呼ばれるルートヴィヒ・グットマン博士の言葉を知る。「失われたものを数えるな。 残されたものを最大限に生かせ」。ならば、自分は頼みの綱である右手を鍛えに鍛えよう。かくして誇り高き“竜の爪”が誕生したのである。

 

 引退後、ボクシングを通じて障がい者の自立支援に乗り出し、やがてブラインドボクシングと出会うのは、村松にとっては「自然な流れ」だった。指導する際は、“竜の爪”でミットを持ち、首に鈴を巻いて上下左右に動く。視覚障がい者に、ヒットポイントを明確に伝えるためだ。

 

 村松は語る。「彼らの笑顔を見るのが何よりの喜び。ギブ&テイク。僕の方こそ多くのものをもらっている」。11月には、これまでの練習の成果を競う小規模のトーナメントを開催する。鈴の音の鳴るジムに実りの秋がやってくる。

 

<この原稿は23年9月27日付『スポーツニッポン』に掲載されたものです>


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