ナックルボーラーには、2つのタイプがある。ひとつは、そればかり投げるフルタイム・ナックルボーラー。もうひとつは、いくつかの球種の中にナックルボールを織り交ぜるパートタイム・ナックルボーラーだ。

 

 去る10月2日(日本時間)、脳腫瘍により57歳で他界したMLB通算200勝のティム・ウェークフィールドは、典型的な前者だった。

 

 ハエの止まりそうなボールながら、不規則に変化するため、打者はバットの芯でとらえることができない。そもそもキャッチャーミットからこぼれるような厄介なボールを、どうやって打てばいいのか。それが打者の本音だった。

 

 ナックルボールは通常、手の甲を上にし、親指と小指でボールを握り、残り3本(人によっては2本)の指の第一関節部分を表皮に突き立て、押し出すようにして投げる。これによりボールの回転数が極端に減り、縫い目や表皮の空気抵抗が増すことで、ボールが不規則な軌道を描くのだ。

 

 エディ・シーコット、フィルとジョーのニークロ兄弟、ジェシー・へインズ、チャーリー・ハフ、そしてウェークフィールド。MLBには200勝以上あげたナックルボーラーが、知っているだけで6人いる。

 

 驚いたのは1979年秋の日米野球だ。フィル・ニークロの魔球見たさにバイトを休み、西宮球場にまで足を運んだ甲斐があったと、あとでしみじみ思った。日本代表の6番に座った“ミスター赤ヘル”山本浩二がナックルを左中間スタンドに叩き込んでみせたのだ。

 

 どうやって打ったのか。後年、本人に聞くと、ベンチからエンドランのサインが出ていたにもかかわらず、低めのナックルボールについていけず空振り。これにより一塁ランナーが二塁で殺された。浩二は目を皿のようにして空振りしたナックルを待った。すると「縫い目が全部見えた」。ボールがベルト付近にきたことも幸いした。「あれは不思議な体験だった」と語っていた。

 

 実はウェークフィールドにナックルを教えたのがニークロ兄弟である。これまでは父親から手ほどきを受けただけの自己流だったが、名人の指導でコツを掴んだ。どうやらナックルのような魔球系の変化球は、他の球種と違い、教わる側も一定のレベルに達していないと習得できないようだ。

 

 先頃、今季限りでの退団が発表された横浜DeNA2軍投手コーチの大家友和は、レッドソックス時代にウェークフィールドのナックルを目の当たりにしている。実際に握りを教わったこともある。

 

 大家によるとナックルは「外的要因に影響を受けやすい」。気圧が低いと「落下幅が減る」というのだ。マスターするのに、これほど難渋する球種は他にない。

 

 魔女とのデート。魔球習得のプロセスを、米国では、そう言ったりする。その心は、どこへ連れて行かれるかわからない――。リスクとリターンは紙一重である。

 

<この原稿は23年10月4日付『スポーツニッポン』に掲載されたものです>


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