冬季五輪・パラリンピック招致活動を続けている札幌市は、2026年大会に続き、30年大会も断念に追い込まれた。今後は34年以降の大会を目指す方針のようだが、待っているのは茨の道だ。

 

 2大会続けて招致断念に追い込まれた札幌市には気の毒な面もある。26年大会は、18年9月に起きた胆振東部地震からの復興を優先させねばならず、五輪どころではなかった。30年大会は、猛暑を懸念するIOCの意向に沿うかたちで、21年夏の東京大会のマラソン・競歩会場を受け入れたこともあり、早くから本命視されていた。「IOCのトーマス・バッハ会長には、大きな貸しがある。敵となる有力な都市もない」。東京大会の組織委幹部は自信満々に、そう語っていた。

 

 ところが、札幌市の敵は国内にいた。組織委元理事らが逮捕された東京大会を巡る汚職・談合事件は泥沼の様相を呈し、招致熱は急速に冷めていく。今年4月の札幌市長選では、招致推進派の秋元克広市長が3選を果たしたが、反対を公約に掲げた2候補の得票数は4割を超えた。

 

 招致活動に携わってきた市の関係者が明かす。「東京オリパラの予算は当初7340億円だったのが1兆4238億円にまで膨張した。25年に予定されている大阪関西万博の建設費も、当初の2倍近くに上振れする見込み。五輪や万博など国際イベントに対する逆風は日毎に強くなっている。今は暴風雨に近い」

 

 1972年の冬季五輪開催時、約110万人だった札幌市の人口は、現在約197万人にまで膨れ上がった。地下鉄が開通し、地下街が建設された。五輪をテコに札幌市が飛躍的に発展したのは紛れもない事実だ。

 

 大会も素晴らしかった。フィギュアスケートのジャネット・リンが残した言葉は「Peace&Love」。ベトナム戦争が長期化する中、“銀盤の妖精”が選手村から送ったメッセージは、瞬く間に世界を駆け巡った。

 

 夢よ、もう一度――。その気持ちも、わからないではない。しかし、夢を見る前に、現実を直視する必要がある。建設・運輸業界は、労働力不足が指摘される2024年問題を抱えている。国際的なイベントを開催するための施設整備は容易ではない。

 

 目下の状勢では、30年大会はスウェーデンの都市連合、あるいは近隣国との国家連合が有力視されている。「スウェーデンはウクライナ支援がかさみ国が財政保証できるかどうか微妙」(JICA関係者)との見方もあるが、過去冬に8回も落選しており、「バッハには救済したい思いが強いのでは…」(同前)。また34年大会はソルトレークシティー(米国)が有力視されている。IOCは24年パリ五輪前の総会で、2つを同時決定する可能性が高い。

 

 では34年の招致に失敗した場合、札幌市は次の次の次の38年まで待つのか。言葉は悪いが“損切り”した場合と継続する場合のメリットとデメリット双方を、まず明らかにしてもらいたい。少なくとも、それを市民に説明する責任がある。

 

<この原稿は23年10月11日付『スポーツニッポン』に掲載されたものです>


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