間違いは誰にでもある。しかし、よりによってそこを間違えるとは…。

 

 IOCのトーマス・バッハ会長が、橋本聖子東京大会組織委員会会長(当時)との会談の際、「最も大事なのはジャパニーズピープル」と言うべきところを「チャイニーズピープル」と言い間違え、日本のみならず海外のメディアからも「恥ずかしい」「不用意な発言」と批判されたのは、東京五輪・パラリンピック開幕を間近に控えた21年7月のことだ。心は早くも翌年2月に開幕する北京冬季五輪に飛んでいたのだろう。

 

 バッハ氏と中国・習近平国家主席との蜜月は、22年北京冬季五輪を経てさらに深まり、9月に行われた杭州アジア大会前の会談では、歯の浮くようなエールを送り合った。<中国はIOCと共に、スポーツの非政治化の原則を堅持し、オリンピック事業の推進と人類運命共同体の構築のために新たな貢献をしていきたい>(中国国際放送局オンライン9月22日配信・習氏)<IOCは多国間主義の擁護に力を尽くし、スポーツの政治化に反対し、中国側がそのために取っている正しい立場を賞賛し、中国との協力をさらに強化することを望んでいる>(同・バッハ氏)

 

 権力志向の強い人間は行動まで似てくるようだ。2期10年と定められていた国家主席の任期制限を撤廃し、異例の3期目に突入した習氏のやり方を踏襲するかのように、バッハ氏も「IOCの君主」への野望を隠そうとしない。15日、ムンバイでのIOC総会では、シンパの委員から続投を求める声が相次いだという。最長で2期12年までと定められている五輪憲章改訂への地ならしと映る。

 

 だが残念ながら、こうした事態は予想されたことだった。今となっては、小欄での警告も虚しい。<バッハ氏は2013年9月、ブエノスアイレスでのIOC総会で第9代会長に選出され、21年3月、オンラインでの総会で続投が決まった。任期は25年までだ。しかし、IOC総会において規約を変えれば、再延長も可能となる>(22年10月26日付)

 

 バッハ氏が3期目を狙い始めたのは、21年3月、2選目の投票で、94票中93票の支持を得たことにあったと考えられる。対立候補も現れなかったことで、憲章改訂に自信を深めたのだろう。

 

 既視感がある。95年6月、ブダペストでのIOC総会で、ファン・アントニオ・サマランチ会長を支持するジョアン・アベランジェ国際サッカー連盟会長、プリモ・ネビオロ国際陸連会長ら、いわゆるラテンシンジケートは、75歳定年制を、一度否決されながらも80歳に引き上げるための多数派工作を展開し、最終日に採択。これはサマランチ氏の4選に道を拓くものだった。

 

 権力は必ず腐敗する。独裁者が去った後には腐臭が残る。その帰結が02年ソルトレークシティー冬季五輪招致を巡る数々の買収スキャンダルではなかったか。IOCは、いつか来た道に、また戻ろうとしている。

 

<この原稿は23年10月18日付『スポーツニッポン』に掲載されたものです>


◎バックナンバーはこちらから