<この原稿は2016年6月5日号『ビッグコミックオリジナル』(小学館)に掲載されたものです>

 

 ラグビーW杯史上最大のグレート・アップセット(大番狂わせ)と呼んでも過言ではあるまい。

 

 2015年9月19日、イングランドW杯で日本代表が世界ランキング3位の南アフリカ代表を撃破した“ブライトンの奇跡”は永遠に語り継がれるに違いない。

 

 なにしろ日本は、これまで7回W杯に出場しながら、1回しか勝ったことがなかったのだ。翻って南アはW杯を2度制したことのある強豪国。英国のブックメーカーが示した試合前のオッズは実に1対34。賭けは成立しなかった。

 

 それでなくてもラグビーは番狂わせが起きにくい。実力の差は、はっきり点差になって表れる。そこがピッチャーひとりが頑張れば接戦に持ち込める野球やロースコアが基調のサッカーとの大きな違いだ。

 

 日本代表ヘッドコーチのエディー・ジョーンズは、この試合に全てを懸けていた。

 

 その証拠が昨年の正月、選手たちに送った年賀状だ。

<2015年9月19日。ブライトン、午後8時。南アフリカ戦キックオフまであと627日、約20テストマッチです>

 

 歴史を変えよう――。

 

 果たして試合はエディーの思い描いたとおりとなった。序盤から一進一退の攻防が続き、残り8分の時点では29対29の同点。スタジアムにはジャパンコールが響き渡った。

 

 LOの真壁伸弥が大野均に代わって緊迫感みなぎるピッチに立ったのは後半13分である。真壁にはペネトレーター(突破役)としての役割が期待されていた。

 

 最大のピンチは後半31分に訪れた。南アフリカはスクラムから左に展開し、SOハンドレ・ポラードがタテを突く。WTB松島幸太朗の好タックルでかろうじてくい止めたが、背水の陣でのディフェンスが続く。

 

 ここでホイッスル。日本が反則を犯したのだ。南アはトライを狙わずPGを選択。点差が3点ですんだことが奇跡の呼び水となる。

 

 29対32。3点のビハインドで、日本に残された時間は7分。FB五郎丸歩のキック処理からのカウンターアタックは、疲労の色の濃い南アの選手たちを徐々に追い詰めていく。

 

 マイボールスクラムで相手が反則を犯す。ゴールラインまでは5メートルの距離だ。PGかスクラムか。エディーの指示は「ショット」すなわちPGだ。

 

 しかし、キャプテンのリーチ・マイケルは迷わずスクラムを選択する。狙うはスクラムトライだ。

 

 振り返って真壁は語る。

「その前のスクラムでLOのルーク・トンプソンが、日本語で“歴史を変えるのは誰よ?”と言ったんです。それにタイトファイブ(PR・HO・LO)が共鳴して“オレらだ!”と叫んだ。ここで変えなかったら、何も変わらないという思いが我々にはありました。

 だからレフェリーにスクラムを告げたのはリーチだけど、あれはFW全員で決めたこと。これまでの4年間の試合の中で、ゴール前のスクラムで相手がひとりシンビン(10分間の一時退場)でいなくなっていたらスクラムトライというセオリーもありました。その意味で特別なことをやったという意識は、あまりないですね」

 

 そして続けた。

「簡単な勝利じゃない。4年かけて歴史を変えたんです」

 

 No.8アマナキ・レレィ・マフィからのパスを受けたWTBカーン・ヘスケスがインゴール左隅に飛び込んだ瞬間、日本の悲願は成就した。

 

 サントリーに所属する真壁がエディーの指導を受けるようになったのは入社2年目からである。

 

 指揮を執るにあたってエディーは明確なコンセプトを打ち出した。

 

<日本NO.1の攻撃型ラグビー。日本NO.1のファイティングスピリッツ>

 

 真壁には忘れられない出来事がある。ミーティングでエディーから激しく叱責されてしまったのだ。

 

「仕事がきつくて、夜、練習してから帰るのが12時過ぎといった生活をしていました。ある時、ミーティングで居眠りしてしまったんです。“なぜ準備もしないでミーティングに臨むのか”と」

 

 真壁は今回のW杯で「準備の大切さ」を思い知らされた。

 

「南アフリカ戦で笛を吹いたのはジェローム・ガルセスというレフェリー。6月の宮崎合宿にもきてもらって実際に笛を吹いてもらったことがあるんです。

 レフェリーにも傾向や特長があって、ジェロームはディフェンダーのノットロールアウェイ(タックルをして倒れたプレーヤーがその場から離れなかった)という反則を結構、取るんです。ではジャパンはどうすればいいか。

 必然的に体の大きな南アフリカの選手たちは日本の選手よりも起き上がるのが遅い。だからタックルされたあと、簡単に立たせないとかルールぎりぎりの対策を練ったんです。実際、あんなにうまくはまるとは思いませんでした」

 

 W杯ではエディーの選手交代のうまさも光った。かつてラグビーはスタメンの15人で戦うものだったが、今やベンチも含めて23人全員で戦うものである。要はカードの切り方のうまい指揮官でなければ結果を出すことはできないのだ。

 

 真壁は言う。

「僕も本音を言えば(LOのレギュラーの)5番を付けたかった。でもエディーが(代表HC)になってから18番や19番という番号に誇りが持てるようになってきた。

 力が落ちてくるからリザーブなのか、それとも後半の武器として考えてくれているのか。試合に出ていないメンバーも含めて、全員に役割と居場所がある。それが本当に強いチームでしょう」

 

 4年後の2019年、ラグビーW杯は日本で開催される。真壁は32歳になる。

 

「この4年間、本当にしんどかった。随分、家族も犠牲にしました。でも、苦労したおかげでW杯で3つも勝ち、ラグビーの楽しさを知ることができた。ここまできたら嫁さんを説得して19年までやりたいと思っています」

 

 ジャパンの悲願であるベスト8への夢は、3年後に持ち越された。


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