雪をあまり知らずに育った少年にとって、札幌は憧れのまちだった。テレビをつけると、ビール会社のアップテンポのCMソングが耳に飛び込んできた。

 

 

 〽ミュンヘン・サッポロ・ミルウォーキー~ビールの世界三大産地は、いずれも北緯45度付近(札幌とミルウォーキーは43度、ミュンヘンは48度)にあり、画面上では三都市が一本の線で結ばれるのだ。

 

 グローバリズムを体現する都市――。このCMにより、「札幌=国際都市」というイメージが深く印象付けられた。

 

 CMソングの次は五輪のテーマソングだ。

 

 〽北の地平を歩み出て~で始まる「虹と雪のバラード」。男女デュオのトワ・エ・モアの透き通った歌声が日本中に流れていた。

 

 1972年、札幌で開催されたアジアで初となる冬季五輪。大会最大のスターは女子フィギュアスケートのジャネット・リン。転倒しながらも、芸術点は満点。世界中が“銀盤の妖精”の可憐で無邪気な演技に魅了された。

 

 世界情勢に目を向ければ、ベトナム戦争が泥沼化する中、彼女が書き残した言葉は「Peace&Love」。札幌の選手村から発信されたメッセージは、瞬く間に世界中に広がった。

 

 夢よ、もう一度。札幌が2度目の五輪招致に乗り出したのが2014年11月。しかし、18年9月に発生した胆振東部地震の影響もあり、26年大会は断念に追い込まれた。

 

 ならば、と札幌は30年大会の招致を目指したが、東京大会を巡る汚職・談合事件に足を引っ張られた。

 

 猛暑が懸念された21年夏の東京大会のマラソン・競歩会場を引き受けたこともあり、当初、IOCは札幌に好意的だった。

 

 IOCが何より重視するのは五輪のブランドイメージである。それに傷がつくとスポンサー収入が集まらなくなるからだ。

 

 東京大会の汚職・談合事件により、五輪のブランドイメージは地に堕ちた。総額2億円近い賄賂を受け取ったとして受託収賄の罪に問われている高橋治之・元組織委理事は、証言すら拒んでいる。これでは機運醸成どころではない。

 

 かくして札幌は30年大会も招致断念に追い込まれ、この秋、「34年以降の開催の可能性を探る」(秋元克広市長)方針に切り換えた。

 

 しかし、34年大会はソルトレークシティー(米国)が有力視され、札幌が割り込む余地は少ない。

 

 その場合、38年大会も視野に入れることになる。随分、気の長い話だ。迷走の先に光はあるのか……。

 

<この原稿は『週刊漫画ゴラク』2023年11月10日号に掲載された原稿です>

 


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