スポーツ庁は「する」「みる」「支える」を、スポーツ立国戦略の中枢に位置付けている。<アスリートのプレーを「みる」、ボランティアにより「支える」といったところから、「する」スポーツへの興味が喚起され行動へとつながることが期待される>(同庁)

 

 お説ごもっともだが、懸念点もある。先の3つは流動化することで機能するのだが、この国の場合、する人はずっとする人、みる人はずっとみる人、支える人はずっと支える人のままになっていやしまいか。

 

 言ってみれば役割の固定化である。中には現役を引退した後も、ずっと選手気分の抜けない者もいる。次はみる側、支える側に回れば、選手時代の経験が生きて視野が広がるのに、もったいない。そう思うこともある。

 

 2002年のソルトレークシティー冬季五輪は、前年9月に発生した同時多発テロ事件の影響で、戒厳令下の大会となった。メディアバスの窓には万一に備え、黒い網が張られた。狙撃を防ぐためだ。そうした地味な作業に従事している者の中には、元オリンピアンもいた。「これまでは支えてもらった。今度は五輪を支える番だ」。ボランティアに応募した背景には、そういう動機もあったのではないか。

 

 その意味で、今季限りでの引退を表明したW杯4大会連続出場の堀江翔太(埼玉)の決断には拍手をおくりたい。

 

 日本歴代6位となる通算76キャップの名選手である。旧来型のフッカーの概念にとらわれない独創的なプレーの数々は、チームに多くの勝利をもたらすとともに、スタンドをも魅了した。普通なら、コーチとしてのスキルを磨き、いずれはヘッドコーチに、となりそうなものだが、堀江はフリーランスのS&C(ストレングス&コンディショニング)コーチへの転身を明言した。

 

 ラグビーに限らず、スポーツの世界においてトレーナー(フィジカル、メディカル、メンタル)は、いわば“裏方”である。まさに「支える」人たちだ。五輪やW杯、世界大会などで華々しい活躍をした選手が、引退後、裏方に回るという例は、あまり聞かない。

 

 転身の背景には、故障からの学びもあるのだろう。堀江は15年に首、18年には右足首を手術している。復活にあたっては佐藤義人トレーナーの献身的な助力を得た。

 堀江は語る。「ケガをしてからでも正しい体の使い方をすれば、もっと良くなっていく。これを、もっと若い子がすれば、大きなケガを防ぎ、パフォーマンスを上げていくことができるはず。若い子たちのレベルが上がれば、もっとトップレベルのアスリートが増えていく」

 

 引退会見では、「もっと」という言葉が、何度も口を衝いて出た。日本のラグビーは、まだまだこんなものじゃない、という思いがにじむ。それを体現し続けるラスボスのラストシーズンを、しかと見届けたい。次の試合は日曜日の花園戦(大阪)である。

 

<この原稿は23年12月13日付『スポーツニッポン』に掲載されたものです>


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