石川県で最大震度7を観測した能登半島地震から1週間がたった8日、七尾市とサポートタウン協定を結んでいる男子プロバスケットボールB3金沢武士団(サムライズ)の中野秀光社長からLINEを通じて動画が送られてきた。

 

 動画には選手やスタッフが、被災者に提供する炊き出し用の豚汁やけんちん汁をつくる様子が映っていた。中野によると、地震発生当日は元日ということもあり、選手たちの多くは帰省していた。ところが、報道で被害の甚大さを知るや「自分たちにできることはないか。何でもいいから手伝わせて欲しい」という連絡が次々に入り、自然発生的に“炊き出しの輪”が広がっていったのだという。

 

 新潟県小千谷市出身の中野は、2004年10月23日に発生した中越地震で家を失っている。その時の被災経験から「温かいものの提供が、被災者にとってはどれだけうれしいことか」を実感した。「中越地震は10月だったけど、今回は1月。幸い地元の人たちが野菜や肉類を持ち寄ってくれる。避難所にいる人や車中泊の人が、少しでも元気を取り戻していただければ…」

 

 金沢市の総合体育館をホームアリーナとする武士団だが、練習拠点は七尾市田鶴浜町に置く。選手たちの多くは七尾市に住み、練習生は和倉温泉にある老舗旅館・加賀屋の従業員寮で仮住まいをしている。

 

 中野は語る。「B1、B2、B3合わせて56クラブあるが、ウチほど選手と地域の距離が近いクラブは他にない。引退後は、“七尾に移住したい”という選手もいるほど。炊き出しに選手たちが合流してくれたのも、困っている時にこそ地元のお役に立ちたい、という思いがあるからでしょう」

 

 それを裏付けるように主将の金久保翔は七尾市のHPに、次のコメントを寄せている。<七尾は人も環境も良くて、すごく住みやすいです。中には、子や孫のように可愛がってくれる人もいて、まるで仕送りのように野菜を差し入れてくれることもあります。>。この地方には「能登はやさしや土までも」という言い伝えがある。

 

 昨年11月には7連敗中だったチームを励まそうと田鶴浜町の住民が、選手やスタッフに昼食や豚汁を振る舞う激励会を催した。支え合い、助け合う“互助の精神”が、この能登には古くから息づいている。

 

 地震から1週間以上たった今も、被害の全容は明らかになっていない。多数の死者が確認され、安否不明者の捜索が続けられている奥能登でも、武士団は少年少女を対象に、定期的にバスケクリニックを開いてきた。公式戦も2月に志賀町と七尾市で2試合ずつ予定していたが、開催の目処は立っていない。

 

 練習拠点の田鶴浜体育館は現在、地区の避難所になっている。「そんな困難な状況下でも、選手たちには練習してもらいたい、という住民の方がいるんです」。中野は声を詰まらせながら、そう話した。

 

<この原稿は24年1月10日付『スポーツニッポン』に掲載されたものです>


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