なぜ古来、雷が鳴り始めると日本人はヘソを隠したのか。人体の中心に位置するヘソを取られることは、命を落とすことを意味する。雷はそれくらい恐ろしいものだという言い伝えが“ヘソ伝説”を生んだと思われる。

 

 もっとも、このヘソ伝説、過去においては夏季限定のナラティブだった。言うまでもなく雷の季語は夏である。私たちの世代にとって“冬の稲妻”は、あくまでもアリスの歌の中での事象であり、まさか初雪が雷神様まで昼下がりの東京にご招待なさるとは……。

 

 13日に国立競技場で行われたラグビーの全国大学選手権決勝は帝京大が34対15で明治大を破り、3連覇を達成した。前半、雷の影響で2度試合は止まり、中断時間は1時間弱に及んだ。

 

「雪は想定していたけど、雷までは考えていなかった。初めての経験で、どうすればいいのか全然わからなかった」とは帝京大の江良颯主将。それでも後半に入り、反則が目立ったスクラムを修正したあたりは、さすがである。

 

 スポーツは何が起こるかわからない。とりわけ気象条件に左右される屋外競技は、あらゆる不測の事態に備えなければならない。想定外を、どれだけ想定の範囲内に組み込めるか。このオペレーションの巧拙が勝者と敗者を隔てる因子の正体と言えなくもない。

 

 さて、この想定外を、想定の範囲内に組み込む作業の事前準備は、試合を裁くと同時に、選手に安全を保障する任務を担うレフリーにも求められる。万一、選手の身に何か起れば、取り返しのつかないことになるからだ。

 

 落雷による訴訟事案といえば、96年、土佐高のサッカー部員が大阪府高槻市内で事故に遭い、両目失明、言語障害などの重度後遺障害を負った、いわゆる“土佐高事件”が思い起こされる。地裁、高裁ともに「落雷は予見不可能」として原告の訴えを退けたが、最高裁は「落雷は予見可能、引率教諭は安全注意義務を怠った」として高裁に差し戻した。事件から12年後の08年、高松高裁は土佐高と高槻市体育協会に責任を求める判決を下した。

 

 今回、2度に渡って試合を中断したレフリーの判断は概ね適切だったと思われる。それでも検証は必要だ。埼玉県スポーツ協会は<かすかにゴロッ(雷鳴)またはピカッ(雷光)を認識したときには、スポーツをただちに中断してください>と厳しい落雷事故対策マニュアルを定めている。雷神様は戦って勝てる相手ではない。危険を察知すれば逃げるのみである。

 

 最後に私見を。レフリーの判断は「ちょっと中断するのが早いんじゃないの」と周囲が怪訝な顔をするくらいの方がいいのではないか。その際の退避基準は「落雷」ではなく「雷鳴」「雷光」に設定すべきだろう。事は人命にかかわる問題である。雷のリスクを低く見積もり、逃げ遅れる事態が生じることだけは避けなくてはならない。

 

<この原稿は24年1月17日付『スポーツニッポン』に掲載されたものです>


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