台湾の総統選で初当選した与党・民主進歩党の頼清徳氏は大の野球ファンとして知られる。贔屓チームは統一ライオンズ。なぜ台湾北部の新北市出身の頼氏が台南市に本拠を置く統一を応援するのか。

 

「1970年代から80年代の台湾は医師不足。彼は医師になるため台湾大学から学士入学で台南市の成功大学医学科に進み、ハーバード大学を経て成功大学の付属病院に勤務した。その縁で統一ファンになったようです」(台北市在住の日本人ジャーナリスト)

 

 選挙期間中、頼氏は民進党のシンボルカラーである緑のスタジアムジャンパーに身を包み、民主主義の重要性を訴えるとともに、統一圧力を強める中国に対抗する姿勢を崩さなかった。

「選挙期間中、頼氏は野球のスタジアムジャンパーを着続けた。これは(野球の盛んな)日米と連携する、というメッセージ。しかも袖には<THE MVP OF DEMOCRACY>と刺繡されたワッペン。中国が嫌がるスローガンを、わざわざプリントしていた。台湾は専制主義、権威主義とは一線を画す、という明確な意思表示でしょう」(同前)

 

 北京からは「頑固な独立工作者」と目の敵にされる頼氏、プロ野球の贔屓チームは「統一」だが、中国の習近平国家主席が公約に掲げる「中台統一」には与しない、という決意は「台湾は世界の台湾であるべきだ。中国に頼る過去の路線に後戻りしてはいけない」という主張からも読み取ることができる。

 

 台湾の野球を語る上で、欠かすことのできない人物がいる。統治下の台湾に渡り、南西部の嘉義農林学校(現・国立嘉義大学)を1931年夏の甲子園で初出場ながら準優勝に導いた愛媛・松山商出身の近藤兵太郎である。松山商時代の教え子にはタイガースや早大で監督を務めた森茂雄らがいる。2014年には「KANO 1931海の向こうの甲子園」というタイトルで映画化された。

 

 嘉農は<大和民族、漢民族、原住民族による三民族混成のチーム>(『台湾を愛した日本人Ⅱ』古川勝三・アトラス出版)であったが、<兵太郎は元来、人を区別したり、差別したりする性癖を持ち合わせていなかった。民族の違いは、野球が好きという一点においては、何も問題はないと思っていた>(同前)という。

 

 内地にも熱狂的な嘉農ファンがいた。小説家で、後に文藝春秋社を創業する菊池寛である。菊池は東京朝日新聞に<内地人、本島人(漢民族)、高砂族といふ変わった人種が同じ目的のため協力し努力してるといふ事が何となく涙ぐましい感じを起こさせる>(1931年8月22日付け)と書いた。ある意味、コスモポリタン的なチームだったのだ。

 

 2014年10月、松山市の「坊ちゃんスタジアム」に兵太郎を顕彰するモニュメントが完成した。私も訪ねたことがあるが、野球を通じた日台交流の文化的拠点だと感じた。頼氏にも、ぜひ一度足を運んでもらいたい。兵太郎も随喜して迎えるはずである。

 

<この原稿は24年1月24日付『スポーツニッポン』に掲載されたものです>


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