第202回 60代には60代のサッカーの難しさと面白さがある
カタールで開催されているAFCアジアカップ。日本代表は2勝1敗の2位でグループDを突破しました。31日に決勝トーナメントラウンド16でバーレーン代表と対戦します。今月はグループリーグの振り返りと、僕のシニアサッカーでの気付きを語ります。ぜひ、お付き合いください。
見事だったトルシエ監督
初戦はベトナム代表との戦いでした。相手の指揮官は2002年日韓共催ワールドカップで日本の指揮を執ったフィリップ・トルシエでした。かつて、ベトナムは少々荒削りなサッカーをしていましたが、トルシエ監督のもと、きっちりと統制が取れていたチームでした。
ベトナムは5-4-1のシステムでした。5バックのラインの上げ下げがうまく、アグレッシブにボールを奪いに来ました。ビルドアップも巧みで、ひとりひとりのポジショニングも秀逸だったように思います。自分たちが目指すサッカー像をしっかりと選手全員で共有できている証拠です。
昨今、ベトナムに渡る日本人指導者も多い。技術的なこと、時間の使い方、サッカーに対する考え方、戦術面を日本人指導者が教えてきた成果も出ていたようです。この初戦で「アジアのレベルも上がったな」と、僕はうれしくなりました(日本は一時、逆転されてヒヤッとしたけど)。
第2節のイラク代表戦、こちらは1対2と黒星を喫しました。日本が精彩を欠いていたことは事実ですが、イラクは良いチームでした。センターフォワードにフィジカルコンタクトに長け、空中戦が強いFWアイメン・フセインを起用し、ロングボールを入れてきました。前半5分の失点シーン。日本の右サイドのポケット(ペナルティーエリア脇)を取られました。
相手の左サイドバックが高い位置を取り、右サイドバック・菅原由勢(AZ)が引き出されたところに、左サイドハーフにハーフスペースに走りこまれました。そして、ペナルティーアーク付近から走りこんだフセインに頭で叩き込まれた。この3分前にも同じ形で右サイドがくずされたので、確実にイラクは狙ってきましたね。加えて、イラクは1点目、フセイン以外にもファーに、2点目もフセイン以外にもニアに選手が走りこんでいた。エリア内に人数をかけるという約束事も徹底されていました。
第3節の相手はインドネシア代表。FW上田綺世(フェイエノールト)の2得点とオウンゴールを誘発する活躍で勝利しました。上田は前半早々にPKを獲得しましたが、あの場面は体の使い方がうまかったですね。将来的に日本代表のFWの軸になれる選手と期待しています。ここからは負けたら終わりに決勝トーナメントです。上田とともに期待してるのはMF久保建英(レアル・ソシエダ)です。インドネシア戦からの良い流れのままトーナメントに入ってほしいものです。
相手を走らせるように
僕も元日本代表として負けていられません。もうすぐ、千葉県内のシニアサッカー選手権がスタートします。これは全国大会につながる大会です。僕はオーバー60(O-60)のチームの一員で参加します。
最近、気づいたのですが、O-50とO-60では少しサッカーの質が異なるんです。50の方は結構、前からプレスをかけてボールを奪い合うのですが、60は高い位置からあまり追いかけたりしないんです。これがちょっと、難しいんですよ。対戦相手は取りに来ず、下がってスペースを埋める。これをやられるとこちらも攻め手に欠け、シュートが打ちにくい。60代のサッカーは賢い印象があります。
50との違いはほかにもあります。60は中盤から結構蹴ってくるチームも多いです。ビルドアップを試みても途中で引っかかるから、コーナーキック付近にラフなボールを送り込む。60代の中では、走れる選手がひとりかふたりいると彼らがそのボールに反応する。60代は60代のサッカー、戦い方があるんだ、と新たな発見がありました。
センターバックの僕が最終ラインでボールを持ったら、少しでも相手選手を走らせるように意識してパスをつなぎます。サイドに散らして、もう1度僕がもらいに行く。少しでも相手を横に動かしてズレをつくるようにしているのが最近の僕のサッカーです。
体力の消耗を防ぐために、考えて戦う。人数が思うように集まらない日もあります。ぎりぎりの12人だったりすることもザラにある。交代要員が少ないからこそ、体力の消耗を抑えつつ、勝負所をかぎ分けてスタミナを使うこともシニアサッカーでは大切です。これの発見、かなり新鮮でとても興味深かったなぁ。皆さんも、少し視点を変えてシニアサッカーを見てみると、発見があり面白いかもしれませんよ。
●大野俊三(おおの・しゅんぞう)
<PROFILE> 元プロサッカー選手。1965年3月29日生まれ、千葉県船橋市出身。1983年に市立習志野高校を卒業後、住友金属工業に入社。1992年鹿島アントラーズ設立とともにプロ契約を結び、屈強のディフェンダーとして初期のアントラーズ黄金時代を支えた。京都パープルサンガに移籍したのち96年末に現役引退。その後の2年間を同クラブの指導スタッフ、普及スタッフとして過ごす。現在、鹿島ハイツスポーツプラザの総支配人としてソフト、ハード両面でのスポーツ拠点作りに励む傍ら、サッカー教室やTV解説等で多忙な日々を過ごしている。93年Jリーグベストイレブン、元日本代表。
*ZAGUEIRO(ザゲイロ)…ポルトガル語でディフェンダーの意。このコラムでは現役時代、センターバックとして最終ラインに強固な壁を作った大野氏が独自の視点でサッカー界の森羅万象について語ります。